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OUT THERE JAPAN TOUR 2015

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4月25日(土) 東京ドームで行われた、ポール・マッカートニー 来日公演3日目となるコンサートに行って来ました。

開場となる16:30にドーム到着。 サウンド・チェックに時間を要しためか大幅に開場時間が遅れ、開演時間も19時を過ぎたこの日のライヴ。 待たされた分、オープニング・ナンバーの 「Eight Days A Week」 からすぐにヒート・アップ! そこからはもういつもの、娯楽性に富んだ完璧なロックショー! 日常のすべてを忘れさせてくれる、大観衆が一体となっての夢のような時間を過ごすことができました。

以下がセットリスト


1. Eight Days A Week
2. Save Us
3. All My Loving
4. Jet
5. Let Me Roll It
6. Paperback Writer
7. My Valentine
8. Nineteen Hundred and Eighty-Five
9. The Long And Winding Road
10. Maybe I’m Amazed
11. I've Just Seen a Face
12. We Can Work It Out
13. Another Day
14. Hope For The Future
15. And I Love Her
16. Blackbird
17. Here Today
18. New
19. Queenie Eye
20. Lady Madonna
21. All Together Now
22. Lovely Rita
23. Eleanor Rigby
24. Being for the Benefit of Mr. Kite!
25. Something
26. Ob-La-Di, Ob-La-Da
27. Band on the Run
28. Back in the U.S.S.R.
29. Let It Be
30. Live and Let Die
31. Hey Jude

Encore
32. Day Tripper
33. Hi Hi Hi
34. Can't Buy Me Love

35. Yesterday
36. Helter Skelter
37. Golden Slumbers / Carry That Weight / The End




。。今回はこの位置。 アリーナのEブロック。↑


カエッテ キタヨ! ユーゲンジッコウ
ポール・マッカートニーのコンサートには、90年の来日公演以来何度も行ってるのですが、始まる前のワクワク感というのは、もうずっと変わらないのです。 他のアーチストだってもちろんそれはありますが、音楽性の幅の広さと娯楽性の高さという意味では、やはりポール・マッカートニーは特別なのだと思います。

この日のセットでは、初日・2日目から数曲入れ替えがあったようです。 オープニングは 「Eight Days A Week」 でした。 「Magical Mystery Tour」 も聴きたかったのは確かですが、オープニング・ナンバーとしては、皆で歌えて手拍子が出来る 「Eight Days A Week」のほうが相応しいのかな。 3曲目の 「All My Loving」 は、ポールの曲の中では、とりわけ好きな曲なので、素直にうれしかったですね。

とても元気に見えるポールももうすぐ72歳。 多くの仲間がすで亡くなっています。 前回の来日公演同様、リンダに(Maybe I'm Amazed)、ジョンに(Here Today)、ジョージに(Something)と言ってから、歌われた曲があります。

他にもその影を感じさせる曲はあります。 例えば 「Another Day」 では、どうしてもリンダのバックコーラスが聞こえてくるし、「All My Lovinng」 ではジョンの3連ギターのバッキングが頭で鳴り始めたりするんですね。






「Something」 は、ビートルズ・ソングでは 「Yesterday」 の次にカヴァーの多い曲ですが、何よりも仲間であるポールによって "カヴァー" され、大観衆の前で演奏されたことを、ジョージも喜んでいるのではないでしょうかね。この日ポールは 「美しい曲をありがとう」 とジョージに感謝の気持ちを表していました。

そういった曲を演奏しても決して重たくはならないのがポールの特徴ではありますが、ジョンに語りかけるようにして歌った 「Here Today」 では、ちょっと目頭が熱くなりました。 静かになった大きなホールに響くポールの語りと、アコースティツク・ギターの音色。 大観衆の前で歌ってはいても、そこにあるのはふたりの世界なのかなぁ と。 アコースティツク・ギターを持って歌うポールの姿には美しさを感じました。

「Let It be」 では、やはり目頭が熱くなったし、お決まりとはいえ 「Hey Jude」での大合唱は、ロック・コンサートではこれを越える一体感はないでしょう。 曲ごとに解説をしていくときりがないので最後にもうひとつだけ。

ポール・マッカートニーの音楽性の幅広さについては、誰もが口にしながらも明確な図式にする人がいないように思うので、それについて・・・
今回のライヴでも終盤に 「Yestreday」 が歌われましたが、それに続いたのがやはり 「Helter Skelter」 でした。 ベクトルの方向が真逆を向いているようにも見える2曲です。ですが、音楽としては対極にあるとも言えるこの2曲も、"マッカートニー・ミュージック" という大きな枠の中では最終的には同じ点に帰結するということです。

エネルギーは自由に飛び回りながらも、メロディや歌、アレンジ、その他ポールだけが持つ何かの力によって同じ点に帰ってくる。 他のアーチストにだってそれはありますが、スケールの大きさが違う。 他のアーチストがやると 「節操がない」 と言われることでも、違和感なく聴衆に受け入れられてしまう (ワケワカラン デスカネ)。 これは凄いことだと思います。 言い換えると、この2曲を続けて演奏することは、ポールの自分の音楽に対する絶対の自信の表れだと思うのですが。






ポールは最後の挨拶で 「世界一のクルー」 と言ってスタッフに感謝の気持ちを表し、同じように 「世界一のバンド」 と表現していました。 スタッフやバンド・メンバーにとっては、リスペクトする人と、と言うか生きる伝説のような人と一緒に仕事をできるということに大きな誇りを持っているだろうし、そのことが仕事の質の高さとなり、世界一のツアー・バンドとなる。それも付け加えておかなければならないですね。


客の年齢層も幅広いとはいえ、やはり高めです。 でも僕のすぐ前には20代前半と思われる女の子ふたりが、歌い踊り、ときに「ポール!」 と叫びながらコンサートを楽しんでいました。とても嬉しい気持ちになりました。

この世に永遠というものはありませんが、この人類の遺産ともいえる素晴らしい音楽を伝えるために、まだまだ多くのひとに幸福な気持ちを与えられるように、ポール・マッカートニーには少しでも長く音楽活動続けてほしいと心から願います。 根っからの音楽家であるポール自身もそれを望んでいるでしょう。





PAUL McCARTNEY / New (2015 Japan Edition)
期間限定かも・・・








光と影の芸術

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映画は "光と影の芸術" と言われています。 もっとも最近はそういった言い方はほとんど聞きませんが。

CGなんてもちろんない時代。 映画がカラー化される以前のモノクロ映画の時代には、光と影を駆使した撮影技術なんて言うのは、多かれ少なかれどの監督(または撮影監督)も持っていたとは思います。その中でも特に際立った作品というのもあるので、それをいくつか選択して今回は。



第三の男 (1948 イギリス) カチンコ
"光と影" の映画となると、まず有名な 『第三の男』 (1949 イギリス)をあげたいと思います。映画としては古典に位置する作品ですが、CGの時代の現代においてもほんとに素晴らしい映像美を感じさせてくれる映画です。

VHS時代から何度か観てきた映画なのですが、先日初めて映画館で見る機会を得ました。 大きなスクリーンで観たその "光と影" に魅了され、完全に入り込んでしまい2回観てしまいました(池袋・新文芸坐は入れ替えなしです)。

舞台となった第二次大戦後まもないウイーンの夜の街で、犯人であるオーソン・ウェルズを、親友役のジョセフ・コットンが追うシーンはとてもスリリングです。 コントラストを付けて撮影された役者たちの表情と、濡れた路面に反射した光も上手く使ったウイーンの街並みには、映画の原点とも言える "光と影" の素晴らしさがあります。

映画ファンを自認する方には薦めます。 というより、観ておくべき映画だと思います。




ANTON KARAS / Harry Lime Theme
アントン・カラス演奏による 「第三の男」テーマ。 ギターに似たチターという楽器を使用しています。重たいトーンを持った映像には、こういった軽快な音楽が重さを和らげる、ほど良い効果となります。 日本ではビールのCMで使用されさんざんテレビで流れた曲です。


クモ男爵(1966) と アッシャー家の末裔(1928 フランス) 映画
生まれてからの記憶に残る最初の "光と影" 映像は、おそらくは我が幼稚園時代。 テレビで観た 『ウルトラQ』 の 「クモ男爵」 かなと・・・ もちろん、おむつを卒業してまだ数年のガキタレ幼児の頭の中には、"光と影" などという言葉は当然根付いていないわけですが。 (*゚ー゚)ゞ

「クモ男爵」 はホントに怖かった! 僕にとっては生まれて初めての "恐怖体験" と言っても間違いないものです。 円谷プロの「ウルトラQ」 というテレビドラマには、当時 「子供が夜うなされる」 という苦情が局にあったそうで、とても子供向きとは思えないタイトルがいくつかあるのです。

パーティ帰りの夜のドライヴで、山道に迷い込んだ男4人女2人の集団。 しばしの休息のため訪ねた森の中の古い洋館には、かつてそこに住んでいたクモ愛好家とその娘が変身したと伝えられる巨大クモが・・・ 。 こういうのはゴシック・ホラーと言うのだそうです。 先日DVDで観たのですがよく出来ていて、"光と影" のコントラストの効いた映像がなかなかにすぐれています。





先月 池袋・文芸坐で 「アッシャー家の末裔」 (1928 フランス) というエドガー・アランポー原作の古い無声映画を観たのですが、物語の舞台が霧の濃い沼地に立つ古い館で、巨大クモこそ出てこないのですが、「クモ男爵」 にとても似た感触を持った恐怖映画だったのです。

最後に館が火につつまれ崩れ落ちていくシーンに至り確信しました。 調べてみると 「クモ男爵」 はこの映画を土台にしている部分があったようです。 こんな凄い映像が、1928年に作られていたのか、とちょっと感動しました。



ブレード・ランナー (1982) カチンコ
映画がモノクロからカラーに切り替わっていく時代には、苦労した映画監督もいたようです。 あの黒澤明監督でさえもそうであったとのこと。 モノクロによるコントラストの技術と、カラーによる色彩美とは当然違うわけで。 それにフィルムというのは、時の経過とともに色があせていく性質もあって、難しいものがあったようです。

カラー時代の "光と影" と言えば、映画通の方ならすぐにリドリー・スコット監督の名前をあげるのでは。 SF映画の金字塔とも言える 「ブレードランナー」 が映画ファンに与えたショックというのは、大きなものでした。 公開された当時よりも、公開後数年してからジワジワと知られるようになった映画という記憶があります。 カルト的な人気とでも言えば良いのか。

1982年に公開されたこの映画の舞台は、2019年のロサンゼルスです。酸性雨の降る近未来都市は、光と影による強烈なコントラストによって描かれています。 光を反射するスモークと水も大きなポイントで、このふたつはリドリー・スコットの映像美を形成するうえでは欠くことのできないツールと言えるものです。

ただ映像美を追求している人なだけに、大阪を舞台にした 「ブラックレイン」 (1989) などは、「これ本当に大阪かい? もっと下世話な都市やろ!」 と思えるほどにスタイリッシュでかっこよくなってしまってます。 それもまたリドリー流の大阪として楽しめるわけですが。







ハーマン・レナード (Herman Leonard)
この方は映画監督ではなく写真家です。 90年代の半ば頃、吉祥寺のパルコ内でこの人の小さな写真展が開かれていたのが偶然に目にとまり、そしてすぐに気に入ってしまったのです。

その時、少し高かった洋書の写真集を購入したのですが、この人の写真は今でも大好きです。 やはり "光と影の芸術家" と言われているのですが、作品によっては光を反射するスモーク(タバコの煙) も使っています。

ジャズ・ミュージシャンばかりを撮った写真集なのですが、ジャズという音楽のある一面をとてもスタイリッシュにとらえています。 当時ジャズ売り場に勤務し売り場を任されていたのですが、売り場作りのためいくつかの写真を額に入れて飾ったところ、客から好評であったのを憶えています。




KEITH JARRETT / My Back Pages (1968)
ハーマン・レナード (1923 - 2010) は、生涯ジャズに情熱を傾けたジャズ・フォトグラファーです。 ニューヨークなどのジャズ・クラブに通い続け、多くのジャズの巨人たちの姿を写真として残しています。
キース・ジャレットの写真がなぜかありませんが。ご了承を。




"光あるところに影がある" って何でしたっけ?
あっ サスケだ! 忘れてた!
サスケについてはいずれまた (記事にしないと思う)
三 (/ ^^)/






第三の男 [DVD]/ジョゼフ・コットン,オーソン・ウェルズ

¥540
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The Eye of Jazz: The Jazz Photographs of Herman.../Herman Leonard

¥4,484
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マルチプレイヤー 列伝

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マルチ・プレイヤー または マルチ・インストゥルメンタリスト。 そう言ってすぐに名前が出てくるのは、ポール・マッカートニー、トッド・ラングレン、プリンス、レニー・クラヴィッツ ・・・あたりか。 でもただ単に複数(マルチ)の楽器をこなすという意味では、ブライアン・ジョーンズ、スティーヴ・ウィンウッド、ジョン・ポール・ジョーンズ 、ジャック・ブルース などなど切りがないほど出てきそうです。 そんなわけでいくつかの基準を設けて、と言うより個人的に勝手な括りを作ってその中から何人かを選んでみました。

マルチプレイヤーと言うと、アルバムの中で曲によっていくつかの楽器を持ち出して演奏するひと。 それもマルチプレイヤーには違いないのですが、イメージとしては、ほとんどすべての楽器を演奏して歌って録音してアルバムを作ってしまうひと。 ホーム・レコーディング、宅録の指向を、アーチストの資質として持っているようなひと。 ではないかと・・・。 様々な個性を集めてその化学反応から大きな個性を作っていこうとする、"バンド指向" とは対極に位置するエネルギーで作品を作る人。 そんなふうに言ってもよいかも・・・。 でも "宅録列伝" じゃ、タイトルとしてかっこ悪いんでね (^o^;)


トッド・ラングレン
部屋に籠って、音の実験をくり返して、密室性の高い音楽を作り上げていくアーチストとして、最初に出てくる名前としては "全能の人" トッド・ラングレンですかねぇ・・・。 でもこの方は、もともとはバンド・サウンドが好きで、60年代はそういった指向を持って活動していたのに、それがまったく売れなくてという挫折がひとつのきっかけとなって、"宅録" に進んでいった経緯があるようです。

多くのトッド・ファンが言うように、僕も72年のアルバム 『SOMETHING/ANYTHING』 が最も好きなアルバムです。 アルバムは、ロスにある住居を兼ねたスタジオで (冒頭の写真)、8トラックの機材を用いて、ほとんどがトッドの演奏によって多重録音されています。 素敵なメロディ満載で、トッド・ラングレンのポップ・ワールドが2枚組CDに余すことなく展開されたアルバムです。 宅録による密室性(解放的ではないという意味)もあるのですが、手作り感を感じる雑さもあり、そのへんが味にもなっていて、やっぱり名盤なのです。

僕がトッド・ラングレンを好きになったのは、80年代末にトッドの全作品が再発CD化されて、日本でちょっとしたトッド・ブームになった頃。 その頃、渋谷の宇田川町でCDやレコードを輸入する会社に勤めていたのですが、タワーレコード (まだ宇田川町にあった)でトッドのサイン会があると聞き、職場を抜け出してサインをもらいにいった記憶があります。 目の前にいるトッドを見て 「トッドって、やっぱり顔が長いんだなぁ」 と、とても感動したのを思い出します ( ゚ロ゚)。




TODD RUNDGREN / I Saw The Light (1972)
名曲! 大好きです。 『SOMETHING/ANYTHING』 に収録されています。 トッドに夢中になったのは80年代でしたが、この曲は70年代から知っています。


ロイ・ウッド
一般的な洋楽ファンのレベルでは、現在でも "知る人ぞ知る" というアーチストであるのが、ロイ・ウッドです。 日本では最も過小評価されている人と言ってもよいかも。

60年代は THE MOVE、70年代は ジッフ・リンらとE.L.O. を結成して活動していたこともあるひとです。 ジェフ・リンが70年代80年代90年代と、アーチストとして プロデューサーとして華やかに活躍していたのと比べると、あまりにも地味な印象。 いい曲多いんですけどね。

ホームレコーディングを行うマルチプレイヤーを見ていくと 「ドラムが叩けるかどうか」 というのが、打ち込みなんて当然なかった70年代などは、大きなポイントになるように思います。 個人的な話で申し訳ありませんが、僕もギター、ベースに加え、鍵盤もそこそこに弾けますが、フィジカルな要素が多く必要なドラムとなると出来ません。

トッドもドラムを叩きますが、ロイ・ウッドの場合も自らドラムを叩き、他にギター、ベース、鍵盤、そして管楽器までこなしてしまうんですね。 40種ほどの楽器をこなすというロイ・ウッドこそが、マルチプレイヤーと呼ぶに相応しいと思います。




ROY WOOD / Any Old Time Will Do (1975)
1972年リリース。ロイ・ウッド2作目のソロ・アルバムとなった 『MUSTARD』 に収録。 ロイのファルセット・ヴォイスが印象に残るポップな佳曲。 ドラムはちょっとバタバタしているかな。


カール・ウォーリンガー
このひととなるとさらに知名度が低い! 元ウォーター・ボーイズ (これも知らないか!?) のキーボード・プレイヤーとして活動していたことでも知られています。 このひとだけをとり上げていずれ記事にしようと思っているので、今回は短めにしておきます。

カール・ウォーリンガー (Karl Wallinger) は、ワールド・パーティーのメンバーとなっていますが、実際のレコーディングは彼ひとりで行っているため、ワールド・パーティーはツアーを行うさいのツアー・メンバーといったところ。

1957年、北ウェールズ出身の彼の音楽は、ビートルズ、ストーンズ、ボブ・ディランなどの60年代ロックの影響を感じさせますが、シンセサイザーやコンピューター・リズムも使っていたりするので、そのあたりは80年代的です。 80年代には 「白いプリンス」 なんて呼ばれていたのを思い出します。 プリンスも好きなアーチストのひとりのようです。

80年代から90年代にかけてのどのアルバムを聞いても、素晴らしい出来。 現在の活動のことはよくわかりませんが、楽曲の良さを考えれば、もっと売れてもよかった人なんですけどね。




WORLD PARTY / Put The Message In The Box (1990)
90年のアルバム 『GOODBYE JUMBO』 に収録。 温かみのあるオルガンが印象的なフォーク・ロック調の楽曲です。アルバム全体として、環境問題がテーマにあります。


ポール・マッカートニー
多くの説明は不要ですよね。1970年4月、ポール・マッカートニーのビートルズ脱退宣言後すぐに発表されたポール初のソロ・アルバム 『McCARTNEY』 は、ポールが自宅のスタジオに籠り4トラックの機材を使って、ほとんどすべての楽器を自分で演奏し多重録音したアルバムです。

ポール・マッカートニーというのは、楽器演奏者としても天才的です。 ポールのベース・プレイの素晴らしさについて、ここで言うまでもないことですが、ピアノなども左利きの特性を生かした発想豊かなプレイであるし、ギターに関しては、特にアコースティック・ギターを弾くさいなどに、音楽的センスの素晴らしさが発揮されます。 もちろんドラムも叩きます。

現在このアルバムを聴けば、音としてはデモ・テープのレベルでしょう。 けれど装飾を取り払ったところで演奏されたポールの楽曲には、他のアルバムにはないポールのむき出しの才能を感じせてくれる楽曲が何曲かあります。

4月の日本公演でも演奏されたこの曲を最後にあげておきます。




PAUL McCARTNEY / Maybe I'm Amazed (1970)













ハロー・イッツ・ミー(サムシング/エニシング?)/ワーナーミュージック・ジャパン

¥2,592
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Mustard/Roy Wood

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Goodbye Jumbo/World Party

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ポール・マッカートニー/ポール・マッカートニー

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追悼 B.B.キング  ブルースの王様 逝く

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"キング・オブ・ザ・ブルース" B.B.キングが、5月14日、ラスベガスの自宅で息を引き取りました。89歳でした。

東京の片隅に暮らすひとりの音楽ファンとして、ギター上達のためにB.B.のフレーズを毎夜コピーしたこともある名もなきギター弾きのひとりとして、今回はB.B.キングさんを偲んでの記事にしたいと思います。 個人的な思いを綴った記事になると思いますがご容赦を。

正直に言えば、ついにその日が来てしまったのかという気持ちです。 ブルース・ファンの多くには、いつか迎えなければならない日であるという覚悟はあったと思いますが、やはりとても寂しい気持ちです。

僕の年代のブルース・ファンでは、いきなり黒人音楽であるブルースに入っていった人というのは少ないように思います。 僕もその例に漏れず、そういった音楽の存在を知ったのは、クラプトンやストーンズ、ジョニー・ウインターやロリー・ギャラガー 等の演奏するロックを通じてです。 彼らがインタビューで自らの音楽的ルーツを語る際には、必ずマディやBB等の名前が出てきたりするし、それでやはり 「クラプトンが敬愛するB.B.キングって、いったいどんなひと?」 となるわけです (ロックと言う音楽の土台にはブルースがあるのですが、そこに触れると長くなるので今回は省略します)。

B.B.キングを初めて聴いたのは70年代末 10代の頃。 深夜にFMラジオで放送されていたある音楽番組であったと記憶しています。「そうか、これがあのB.B.キングか!」 となったわけですが、深夜のFM番組には違和感なく、洒落た音楽として響いていました。それもそのはず、B.B.のブルースって、モダン・ブルースと言われるように、都会的で洗練されたところのあるブルースなんですね。



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僕がB.B.キングのコンサートに初めて行ったのは、それからずっと後の1991年1月の来日公演のときです。 80年代末ぐらいから、クラプトンやキース・リチャーズ、あるいは80年代に登場した傑物・スティーヴィ・レイ・ヴォーン 等がいつもブルースを演奏し語ってきたこともあって、世界的にも ブルース復活の気運が高まっていた頃です。

同じ頃に、シカゴ・ブルースのレジェンド、バディ・ガイのライヴにも行ったのですが、心臓を手づかみでグイッと引っぱり出すような、バディのロック的でエグいブルースとはかなり違う印象でした。

五反田の簡易保険ホールで聴いたB.B.の音楽は、管楽器が何本も入る大所帯。 バンドというよりも "楽団" という印象で、ゴージャス感もあり 「ブルーズと言ってもいろいろあるんだなぁ」 と・・・。 でもね、B.B. のギターって、バックがどんな演奏であろうと誰と共演していようと、一音発しただけでそれとわかる強烈な個性があるんですね。 そういった意味では、バディ・ガイに負けない凄味があるのです。

B.B. の訃報にさいし、多くのロック・ミュージシャンがコメントを出していますが、その中でレニー・クラヴィッツの言った 「音符を千個弾いても誰にもあなたが1個で言えたことまで言えなかったものだよ」 という言葉が、B.B.をよく知るファンを代弁してのコメントであると思います。

そして人柄。 B.B.を語る際には必ず出てくる言葉です。ファンが並んでいればいつまでもサインをし続けていたといいますが、あの日も恒例のステージ上からのバッジ配りが始まると、ファンがステージ前に殺到。 「もういいよ、B.B. 」 なんて思うほどに、サービスを続けていました。 あの時点ですでに60歳を超えていましたが、年間200日以上をツアーに費やし、 "ブルース大使" として、世界中にブルースという音楽を広め、後進のミュージシャンたちに与えた影響も計り知れないものがあると思います。



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最後に・・・、長年 B.B.を敬愛して止まず、2000年には念願であった共演アルバムまで作ったエリック・クラプトンの、Facebook 上に出されたコメントを載せておきます。

「今は悲しみを表明すると同時に友人である B.B.キングにありがとうと言いたいです。長年に渡ってぼくにプレイヤーとしてインスピレーションと励ましをもたらしてくれたことや、楽しく分かち合った友情に感謝しています。 それ以外にもう言うべきこともないと思います。それは、このブルースという音楽がもうほとんど過去のものとなりつつあって、B.B.のような純粋な形でブルースを弾ける人たちがわずかしか残されていないからです。B.B.はこういう音楽をこよなく愛するぼくたちのような人間の間ではとても大きな存在だったし、B.B.に対しては心の底から感謝しています。もしあなたがB.B.のことをあまり知らないというのなら、ぼくとしてはまずは 『ライヴ・アット・ザ・リーガル』 というアルバムを聴くことをお勧めします。ぼくがまだ若くてギターを弾き始めた頃、すべての始まりとなったのがこのアルバムでした。」




B.B.KING / Everyday I Have The Blues (Live At The Reagal 1964)



。。安らかに・・・







こちらもB.B.キングの記事。良かったら・・・
スリル・イズ・ゴーン(CLICK HERE!)










DUTCHDADDY / I'm your DADDY

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昨年 本ブログにて一度紹介した、都内のライヴ・ハウスを中心に活動するパワー・ポップ・バンド DUTCHDADDY が、本日6月3日に初めてのフル・アルバム 『I'm your DADDY』 をリリースします。 あくまでもファンのひとりとして、今回はそれを記念しての記事と言うことで。


メンバー構成は、ヴォーカル & ギター (岩切麻由)、ギター (ネイタクヤ)、ドラム ( 草野ヒひろ明) の3人に、ベース (植木みつお) がサポートとして参加している 3 プラス 1の編成です。

DUTCHDADDY を知ることとなったのは、本ブログの記事に昨年の始め頃 ヴォーカルの岩切麻由さんがコメントを寄せてくれたのがきっかけです。 こういったブログをやっていれば、自称アーチスト、自称DJの宣伝ペタやら、いいね、も多くつきますが、ほとんどがまともに読んでいるとは思えないもの。 でも彼女は真摯にコメントしてくれたので・・・。 ということで、彼女が所属するバンド DUTCHDADDY のブログを訪ね、記事に貼り付けてあったPVで曲を聴いてみたところ・・・。

「むむっ 歌がいい! 曲もいいぞ」 となったわけです。 麻由さんとの数回のコメントのやりとりの後、ライヴ行きを決断。 それが昨年の5月でした。 80年代に何度か足を踏み入れた記憶がある吉祥寺の老舗ライヴ・ハウス 「曼荼羅」で聴いた DUTCHDADDY のライヴ演奏は、想像していたより遥かに良いものでした。 音楽に純粋に取り組んでいる姿も見えて、すぐに好きになってしまったんですね。

歌が力強かったこと。 演奏にエネルギーがあったこと。 そして曲が良かったのです。 ギターのネイタクヤ氏の作るサウンドは、オアシス以降のブリット・ポップやUSパワー・ポップからの影響を感じさせるものですが、それだけにはとどまらない豊かな発想力があります。 そして作る曲のメロディはポップで情緒的で、親しみやすさも感じさせます。 なんて、簡単に書いてしまいましたが、メロディ・メイカーとしてなかなかにすぐれていると思います。

僕は現在のドラム(草野ひろ明氏) 以前の彼らのライヴは知りませんが、ライヴ・バンドとしての DUTCHDADDY は、このドラムの力量によるものも大きいのではないかと思っています。 腰の据わったドラムとでも言うのか、バンドに落ち着きをもたらしている感もあります。バンドがライヴ・バンドとして成長していく過程では、ドラムってすごく重要なんですよね。



紅一点! ギターも赤!  素敵なマユさん ♥。。。。。。。。


岩切麻由さんについて・・・。
素晴らしいシンガーです。 DUTCHDADDY は昨年、「the pillows 結成25周年カバー・コンテスト」 で最終選考まで進みましたが、カバーした曲 「TRIP DANCER」 のクリップ映像には、DUTCHDADDY を称賛するコメントが数多く寄せられました。 the pillows への敬愛を示しながらも、自分たちの曲としてモノにしている秀逸なカバーです。 僕は今やすっかり麻由さんの歌のファンになってしまい、客観的に語れなくなりつつあるので、そこに寄せられた彼女の歌への称賛の声を拾ってみました。

「素敵な声」 「力強い歌声」 「意志のある、強くて美しい声」 「ストレートに響く歌声」 「歌の存在感が凄い」 ・・・。 皆 感じていることは同じ。 すべて当たっていると思います。 とりわけ 「意志のある、強くて美しい声」 というコメントに彼女の歌の本質があるように思います。

「意志」 がある声だから、歌の詞(ことば)が際立ち、聴き手の中に入ってくるんですね。 いいシンガーってみんなそうです。 歌というのはどうしたって天性の部分が大きいのですが、彼女の声は天性のものであり、人に伝えるという能力もしかり。 そしてまだまだ伸びていくであろう可能性も感じます。
僕の熱は当分下がりそうにありません。σ(^_^;)




DUTCHDADDY / Metrocity
(Music TAKUYA NAY / Lyrics MAYU IWAKIRI)

アルバムのリードトラック。 都会のストーリーって、きっと "光と影" 。



DUTCHDADDY がやって来る!
リリースされたばかりのアルバム 『I'm your DADDY』 で聴ける音が現在の DUTCHDADDY の到達点です。 渾身の力を持って世に出された10曲は、すべてが珠玉の輝きを放っています。
リードトラックとなった 「Metrocity」や 「Sunrise」 は、ライヴでひときわ輝く曲。 とびきりのメロディを持った 「サーチライト」(ほんとメロディが素晴らしい!)。 ライヴではずっと歌われてきた 「Tiny-tot Love Sog」 は、数多いJ-Pop の名曲たちと並べてもまったく遜色のないものだし、ここで聴ける麻由さんの歌の素晴らしいこと!

ポップ・ミュージックの方法論がすべて出揃ったところで生まれ育った彼らには、僕らの世代が苦労して身につけたことが、当たり前のように備わっているのです。 そして彼らにはそれをセンスよく選択し、組み合わせてしまう絶妙なバランス感覚もあって、悔しいけれど もうかなわないですね。
今作は全国のタワー・レコードやHMV、アマゾンでも購入できるし、とにかく多くの人に聴いてほしいということです。



I’M YOUR DADDY/DUTCHDADDY

¥2,160
Amazon.co.jp


"到達点" なんて言ってしまいましたが、現在もライヴ活動中の DUTCHDADDY は、日々成長しています。 そしてこの新作を引っさげて、DUTCHDADDY はライヴ・ツアーに出ます。 客の顔の見える小さなハコでのライヴをくりかえし、客たちと真剣に向き合いながらその音楽を鍛え上げてきたバンドです。 もしあなたの住む街の近くで彼らのライヴがあったなら、ぜひとも行ってみることをすすめます。アメブロで最もディープな音楽ブログであると自負する (異論のある方は受けて立ちます) "GET UP AND GO" の やんが、自信を持ってすすめるバンドです。

ライヴ情報その他はこちら ↓ カラオケ
DUTCHDADDY Official Web Site

新作についてメンバー3人がメッセージ。必見! ↓ グッド!
ROCK MAGAZINE Skream 動画



普遍性を持ったメロディを歌う力強いシンガー。
施された発想力豊かな装飾(ギター・サウンド)。
支える堅固な背骨(リズム隊)・・・。 才能は揃っています。

オーソドックスなスタイルの音楽は、強いインパクトを持ってのアピールはしにくいものですが、DUTCHDADDY にはパッションという武器があります。 壁を突破してしまえば、いきなりメイン・ストリートに踊り出てくる可能性もあります。

2015 6, 3  Yang




ギター・ヒーロー! ロリー・ギャラガー

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6月14日は、アイルランドが生んだ偉大なギタリスト、ロリー・ギャラガーの命日。 そして今年は没後20周年ということになります。 そんなわけで今回は、僕の最も敬愛するギタリストであるロリー・ギャラガーについて。 少し長くなりますが読んでくださいね。 聴いてくださいね。 ( ^-゚)v

「あなたのギター・ヒーローは誰?」 と問われたら、「ロリー・ギャラガー!」 と、昔も今も即答しています。 「あれ? クラプトンじゃなかったっけ」 という声がどこかから聞こえてきそうですが、確かに最もライヴに行ったアーチストはエリック・クラプトンです。 87年の来日公演に初めて行って以来、来日のたび2~3回は行ってるので、20回以上行ってるはずです。 バカですよね、 数こなせば、クラプトンと同じに弾けると思ってたんですからね。

でもね、ただ一度しか行ってないロリー・ギャラガーこそが、僕にとっての憧れ、ギター・ヒーローなんですよ。髪形や服装まで真似たギタリストってロリーだけ。 確かにクラプトンはギターを始めた中学生以来、最もギター教材としてコピーしたギタリストであったし、尊敬もしています。

でもね、これは言葉では上手く表せないのだけれど、ロリーのギターや歌って理屈を超えたところでグッと心に入ってくるんですよ。 尊敬もしているんだけれど、愛すべき存在というか。




RORY GALLAGHER / Messin' With The Kid
こういったスカスカのサウンドのカッコ良さって、今どきのロック・ファンにはわかってもらえないんだろうなぁ。 静寂(すき間)があるからこそ、音を発した瞬間のギターが抜群の切れ味を持って・・・。


実直、真摯、情熱、そして繊細、優しさ . . 。People's Guitarist(民衆のギタリスト)と言われたロリー・ギャラガーを表す言葉としては、まずそういった言葉が並びます。 巷にあふれる 「魂の・・・」 というキャッチ・コピーも、本来はロリー・ギャラガーのようなアーチストにこそ相応しい表現であると思います。

でもそんなロリー・ギャラガーも,70年代のロック・ギタリスト全盛の時代においてさえ、日本での人気はいまひとつであったと記憶しています。 ベック、クラプトン、ペイジにリッチー・ブラックモア・・・ 人気の順列としてはそれより以降のものでした。 72年にはイギリスの音楽誌 「メロディ・メーカー」 で、クラプトンを抑えてギタリスト部門の1位になったこともあるほどの実力の持ち主であるというのに。

極端にシングル・カットを嫌った(ゆえにヒット曲もない) という頑固さや、アメリカでのアルバム発売の際には、アメリカナイズされた音を拒否したこともあったというロリーの不器用さが災いしたというのもあったでしょう。 「不器用」 という表現を使いましたが、それこそがロリーが生涯ほとんど変わらぬスタイルで音楽を作り続けることのできた要因であり、また現在でもファンから愛されている理由のひとつなのですが。




RORY GALLAGHER / Too Much Alcohol
ギターはリゾネーター、30年製ナショナル・トライオリアン。 こういったスタイルでのブルーズは、 上手いだけではなく雰囲気のあるひとじゃないとダサくなってしまうんですよ。
それにしても ここでのロリーときたらもう・・・ ♥ (ワタシ ソノケハナイデスガ)



70年代中頃から猛威をふるったパンクの嵐に吹き飛ばされ、80年代はほとんど忘れ去られた存在であったロリー・ギャラガーでしたが (もうほんとに過去の人でした)、80年代末に輸入盤店に突然と言った感じでロリーの新譜が置かれ、イギリスの音楽雑誌の「昔とほとんど変わらないスタイルで地道に活動を続けている」 といった記事を読んだとき、その時からが、僕にとってはロリー・ギャラガーの音楽との本当の意味での邂逅であったように思います。

カラフルな音楽にあふれた80年代にあっても、音楽のスタイルを変えることなく続けていてくれたことが嬉しかったんですね。 脱皮を繰り返し、変化を続けていくことがアーチストの姿なのかも知れませんが、変わらぬこともまた尊いことだと思うのです。

ところで、ロリーがローリング・ストーンズからのメンバー加入の誘いを断ったのは有名な話ですが、ネガティブな理由からではなく、70年代半ば絶頂期にあったロリーのツアー・スケジュールは先まで埋まっていて、それをキャンセルしてまでストーンズに参加することはできなかった、と言うのが真相のようです。 実際、70年代のインタビュー記事を読むと、ストーンズの音楽に対しては好意的ですからね。

それにしても、もしロりー・ギャラガーが一枚だけでもいいからストーンズのアルバムに参加していたとしたら、どんなアルバムになっていただろうか、と想像してしまいます。 ロリーはキース・リチャーズのドライヴの効いたコード・ワークを評価していただけに、ふたりのギターは面白い絡みを見せたのではないかと想像してしまうのです。




RORY GALLAGHER / Crest Of A Wave
ロリー・ギャラガーと言えば、あの塗装の剥げ落ちたボロボロのストラトですが、テレキャスターも似合います。同時代の白人プレイヤーの中では、デュアン・オールマン、ジョニー・ウィンター等と並ぶスライド・ギターの名手。 痺れる !


Million Miles Away (100万マイルも離れて)
ロリー・ギャラガーと言えばまずブルース。 それに間違いはないのだけれど、アイルランド人であるロリーの作るメロディには独特の哀愁があり、またジャズやカントリーからの影響も感じさせるソングライティングは幅の広いもの。 ロック・チューンには意外なほどポップな曲もあります。

「Million Miles Away / 100万マイル離れて」 は、ロリーの繊細さ、心の奥深さを感じさせるバラード・ナンバーです。 ソングライターとしての能力の高さを感じます。ロリーの曲の中でもとりわけ多くのファンに愛されている曲であり、また同業者でもあるアーチスト仲間からも好まれている曲なのだそうです。

おそらくは、長いツアーの最中、故郷や家族を離れブルーな気分で酒場で飲む風景を思わせる歌詞が、旅から旅のミュージシャンたちの心情と重なる部分があるのではないかと思います。




RORY GALLAGHER / Million Miles Away
ストラト・ファンの皆さん! この音こそがオールド・ストラトキャスターの音ですよ。 そして最も美しい音色を持ったこの音こそが、僕の中ではストラトキャスターの音そのものなのです。 それにしても名曲だなぁ。


ロリー・ギャラガーはイギリス人ではなくアイルランド人です。ずっと以前、友人の紹介で、ロック・アーチストのインタビューの通訳をされ、また最近では翻訳もされている、そして元ロリー・ギャラガー・ファン・クラブの会長(!)でもある 前むつみさんと話をする機会を得て、ロリーの人となりについて伺ったことがあります。

とてもまじめでギターを片時も離さないようなひとだったそうです。 ツアーの移動で、ギターだけ先に会場に運搬されてしまったときなど、「今日は手もとにギターがなくてさびしいんだ」 とロリーが言っていたという話を聞いたとき、自分の中のロリー・ギャラガー像とほとんど変わらない感触を持ちました。ロリー・ギャラガーって、アイリッシュの特徴である質実さや頑固さを持ち続け、それを音楽の中で純粋に形にしたひとだと思うのです。


91年2月24日 東京郵便貯金ホール。4度目の来日公演となったこの日が、日本での最後のライヴとなりました。ステージには、ブルースを真摯に歌い、ステージを動き回ってロックするロリーの姿がありました。 叫びたい気持ちを抑えることができませんでした。

そこには確かにロリー・ギャラガーがいた! 間に合った!

1995年6月14日、47歳の若さでロリー・ギャラガーは永眠しました。






William Rory Gallagher。。。。。。。。。。。。。。。。。。
Mar 5 1948 - June 14 1995。。。。。。。。。。。。。。











関連記事 ↓
ジミー、ロリーを語る

4周年! "Get Up And Go" ベスト・イレブン  

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結束のイレブン なでしこジャパン! 日ノ丸


 この6月で、ブログを始めて4年になります (途中一度退会し、2カ月ほどの休みを入れましたが)。 今回は、その4年間で積み重ねた記事の中から、アクセス数云々ではなく、あくまで自選によるベスト・イレブンを選んでみました。 忘れ去られてしまったような古い記事中心で、ごく最近のものは外していますが、"作品" としての記事としては自分で納得度の高いものばかりです。すべての記事を読んでくださいとは言いませんが、タイトルを見て 「これは面白そうだ」 と思ったものだけでも。 ベスト3あたりは特にすすめます。

こういったブログなので、私的なことはなるべく書かないようにしてきましたが、今回は記事に関する思いを絡めながら、雑感その他少しばかりあれこれと (o^-')♪



ヤン・ホサカの音楽漂流記 (2011. 6 ~ 2013. 1)
GET UP AND GO ! (2013. 3 ~   ) 

自選記事 ベスト・イレブン (10 プラス 1) と言うことで。 一応3位までは順列を付けましたが、あとは順不同。 その時の気分で変わるものですから。 でもベスト3までの記事は動かないかな。 それにしてもリンク張るのって意外と疲れる (;^_^A タイトルをクリックして読んでね☆  

1位  ウィズアウト・ユー  クラッカー
世界一悲しい名曲。 それが「ウィズアウト・ユー」。 とても短い文章ながら、無駄のない完璧な文であると自分でも思います。 この記事は2011年、ブログ初期のもの。音楽紹介記事としては、結局この記事を超えることができていない。文章の技術を積み重ねることによって、出来なくなってしまうこともあるんですね。 ピートとトムによって作られたこの悲しい名曲を、こんなふうに記事にして多くのひとに聴いてもらえただけで、音楽ブログとしてはもうほとんどを達成してしまったと言えるのかも・・・。

2位  聖地リーズ .musiclove 
これは音楽体験と言うより、もう人生経験と言えるものです。 自分の中では大きな財産になっています。 それまでブルースという音楽は、レコード・CD、あるいはビデオの中だけの世界でしたが、帰国後CDから聞こえるブルースはそれまでと違ったもの、もっとリアルなものとして入って来るようになりました。

3位  真夜中のオアシス 三日月
この曲、すごく好きなんですよ。 僕にも、必死に曲作りをしていた時代があって、その時にこの曲を聴いて 「一生で一曲、こんな曲を作れたらなぁ。 音楽の神様、どうかお願いします」 なんて思ったことがあったのです。ポップ感とジャジーなおしゃれ感が、絶妙にブレンドされています。それをマリア・マルダーがあの声で歌うわけで。 ただただ ため息・・・ とても大切な、宝物のような個人的な思い出も絡んでいます。





ふり返る形として、なぜ4年なのか? 現在カナダで行われている女子サッカーのW杯が、ちょうど4年前にも行われていたからです。 「そういえばあの頃だったよなぁ。 なでしこたち頑張って優勝したんだよなぁ・・・」 と、ブログを始めた頃の記憶と重なるのです。 あの優勝は、震災で傷ついた日本人に多くの励ましと勇気を与えた、と言われましたが、その時のことで凄く印象に残っているのは、敵として戦ってきた相手国の選手が 「負けたのは悔しいけれど、優勝したのが日本で良かった」 と言っていたことです。 ドイツでの大会でしたが、多くの観客も日本の優勝を祝福してくれたのを思い出します。

2011年という年は、東日本大震災で多くのひとの命が失われた年です。そのことはブログを始めたきっかけ、と少し関係していることです。 あの震災は日本人の心に変革をもたらしたと言われているでしょ。

心の離れていた家族が絆を取り戻した、とか。駆け込むようして結婚をするカップルが増えた、とか。 ああいったことが起きれば、「自分にとって本当に大切なひとは誰なのだろう。 大切なことは何なのだろう」 と誰もが考えるわけですから。

で、いささか強引ではありますが、僕自身も何かを考えていくつかの行動を起こしたわけですが・・・。残念ながら、結婚を考える対象はいなかったわけで。 子孫も残せていないし。 でもこれはもう身から出た錆というか、ずっと勝手放題やってきたツケというか、どうしようもないことです。

でもやっぱり考えてしまったんですね。 「ここで今東京に大震災が起きたら、俺は何も残せず、ただの音楽バカでシネ・マッドの阿呆として、倒れてきた棚にある膨大なCDと書籍に埋もれてひとりで朽ちていくのか・・・。」と。 (ノ_・。)





尾崎 豊が飛んだ日
本ブログでは、間違いなくロングラン・No.1記事です。 アクセス解析などを見ると、現在でも常にアクセスされています。 普通に 「尾崎豊 日比谷野音」 で検索すると、上から2番目3番目あたりに出てきたりします。 あの伝説のライヴを記事にしたものはいくつかありますが、僕もあの事件の証人のひとりです。 ところで、家入レオという若い女性シンガー・ソングライターは(このひとは好きです)、今年のコンサート・ツアーを、彼女の憧れである尾崎豊の聖地のひとつである日比谷野音からスタートさせたそうです。

青春の輝き
カーペンターズ。 どうしても胸の痛みを覚えます。 別人のようにやせ細ったカレンの写真を見たときのショックは、ちょっと言葉にできません。 そのとき初めて、カレン・カーペンターがずっと深い悩みの中にあったということを知りました。そして「青春の輝き」という曲に、どうしても深い意味を見つけようとしてしまいます。 この記事もロングラン記事。 少しずつですが、読まれ続けているようです。

2014 5. 31 吉祥寺の "ラスト・ワルツ"
バウスシアターは80年代、吉祥寺に住んでいた頃、よく通った映画館。 映画館の最後に立ち会うのって悲しいことなのだけど、最後となれば行かないわけにはいかないでしょ。 今もたまに吉祥寺に行くとバウスの跡地に足が向いてしまうのです。 館はすでに跡形もなく取り壊され、そこには夢のかけらも見当たらないさら地があるだけ。 つらくなるだけなのにね。

ザ・サンデイズ
90年代初頭に現れたUK・ギター・ポップ・バンド。 サンデイズのような、俗っぽさをまったくと言っていいほど感じさせないバンドって、あれ以来出会っていないような気がします。ハリエット嬢、可愛くて美しかったですね。




僕は子供の頃から、絵を描いたり、楽器を弾いたり、文章を書いたりとかすごく好きでしたが、文章に関しては 「歳を重ねて、書くに値することが自分の中に形成されたら小説という形にしよう」 と20代の頃に決めたこともあってあまり書かずにきたのです。

と言っても、店のフリー・ペーパーにアルバム評を書いたり、商品に貼り付けるコメント・カードを書いたり、あるいは音楽雑誌に評論を寄稿したりとか、そういったことはずっとやってきたので、文章を書くという行為の下地は出来ていたんですね。 で、「何かを形として残すぞ!」 の決意のもと、小説を書き始め、聴いてきた音楽 観てきた映画を中心にしたブログも始めた、というわけです。

ところで、このブログをずっと読んできてくれた方はわかると思うのですが、僕の文章は、10個の文章をひとつの文章にぎゅっと濃縮してしまうような書き方なので、短編向きなんですね。それが 「濃い」 とか 「深い」 とか言われる所以だと思うのですが、小説のほうは長編を書いています。 だからなかなか進まないのです。 そりゃそうですよね。 長編の場合は、1個の文章を10個にもしてイメージを広げていくように書いてくわけで。 真逆にも思えることを、同時進行で行っているので、時々頭が壊れます。 仕事に支障が出ることも。 困っています (・・;)、



抱きしめたい
異色のビートルズ映画です。 スピルバーグが総指揮にあたっただけあって、よく出来ているし何しろ面白いです。この映画は、ナンシー・アレンのあのシーンに尽きるでしょう。

爆笑! ジミー・ペイジ伝説
この記事。 悪ノリし過ぎたかな とは思っていますが、ウケたようです。 実は "リッチー・ブラックモア 若ハゲ伝説" とか "フレディ・マーキュリー お化けなすびの伝説" とか、そういうのもやろうかと一応は考えたのですが、やめました。何事もやりすぎはいかんですよね。 (^_^;)

Tokyo City は風だらけ
今は普通の役者である石橋凌も、あのときは特別なロック・シンガーでした。 初期のARBって本当にかっこ良かったんですよ。 僕がこれまで見た日本のロック・バンドの中でも、初期のARBとルースターズのカッコ良さって特別なもの。ルースターズもそのうち記事にしなければなぁ。

『番外編』 ニコニコ
親友 K
すべての記事の中で、これだけは皆さんと同じような、普通に日常を綴った普通のブログです。どうしても書き残しておきたかったのです。
最近は、偶然に思えることでもそれは必然だと考えるようになりました。 今年の2月にも、10数年ぶりの再会となる友人と、新宿でバッタリ会いました。僕はどこの宗教にも属していませんが、そういう事ってひとつの "示し"、何かのサインなのではないかと思うようにしています。 それを感じたときには、自分の意思に基づいた行動よりも、自然な流れを優先させて行動するように心がけています。




PILOT / Get Up And Go (1977)
本ブログのテーマ曲です(勝手にそう決めたわけですが)。 空の色って、青ければ青いほど悲しくなったりしませんか。 この軽快なポップ・ソングにそんな悲しさを感じ取ることが出来るひととは、きっとソウルメイト。



長くなりましたが、ありがとうございました。 記事の中で気に入ったものがあったら "いいね" してくれるとありがたいです(今後の参考にします)。 またそちらへのコメントも歓迎します。 実はブログのほうしばらくペース・ダウンしようかと考えています。 これ以上ペースを落としたらどうなってしまうんだ、という話ではあるのですが。

秋に仕事関連の重要な資格試験が控えていたり(私、一応普通の勤め人)、いいかげん小説も完成させなければいけないし (目指せ!夢の印税生活)、私生活でもいろいろとあるもんで (*v.v)。

と言っても、書き始めると止まらなくなり、気が付くと朝までPCの前に・・・なんていつもそうなってしまうんですけどね。 やっぱり 『ぐだぐだ言わんと、目を覚ませ!そして行け!』 ってことですか。 グッド!


Get Up And Go !
より高く! より深く! けれど優雅に・・・
冗談も好きなんですけどね ☆




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サッカー女子W杯 2015
アメリカは確かに強かった。 でも、なでしこたちはここまで本当によく頑張ったと思う。 パスでつなぐサッカーは、仲間を信じて戦うなでしこのサッカーを象徴するもの。目の肥えた海外のサッカー・ファンからも 「美しい」 と評価されるそのスタイルを、日本人としてとても誇らしく思う。 絶対に勝負をあきらめないで戦う美しい姿は、多くの人に勇気を与えたと思う。 そのスピリットは次の世代に受け継がれていくものと信じます。

なでしこジャパン、準優勝おめでとう!




ラヴ・ソング ..... 切実なる愛の歌

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本日は7月7日、七夕の日。
安易な企画であることは重々承知しています。 ラヴ・ソングをいくつか集めてみました。 タイトルに 「切実なる・・・」 などとつけてしまったので、直接的に愛を訴えるような、曲タイトルに女性の名前を冠した曲を選んでみました。

AL KOOPER / Jolie (1972)
アル・クーパー、1972年に発表されたアルバム 『NAKED SONGS』 に収録された、アル・クーパーを代表する曲のひとつです。

"君は太陽のようにまぶしく輝いていた。死んだも同然だったこの僕を甦らせてくれたんだ。ジョリー" と歌う、ストレートなラヴ・ソングです。この曲に出てくる "君" というのは、クインシー・ジョーンズの娘・ジョリーのことだそうです。

アル・クーパーは、ジョリーとのラヴ・ロマンスについてを曲にしたんですね。でも曲を発表した時点では、2人の恋はもう過去のものであったそうです。ふたりの恋がどういった結末によって終わったのかはわかりませんが、こんなにしゃれた曲調のラヴ・ソングなのだから、ふたりにとっては、きっと若い日の良き思い出として記憶に刻まれているのではないでしょうか。





HALL & OATES / Sara Smile (1976)
今年の暮れに来日が予定されているホール & オーツ。 現在も活動を続けています。 ホール & オーツ というと、大ヒットを連発した80年代の印象が強いのですが、「サラ・スマイル」 は、76年の初期のヒット曲です。

"微笑んでくれ、サラ。僕のためにしばらくのあいだ" そんなシンプルな歌詞を持つ曲ですが、とても味わい深く沁みてくるバラードです。 作者であるダリル・ホールが、恋人のサラに旅先からハガキをだすような気持ちで作った曲だそうですが、静かな曲調ゆえに深い愛を感じさせる曲になっています。ダリル自身 「パワフルな永遠のソウル・ソング」 と語っています。

愛を語るのって、静かに語るほうが説得力があったりします。これは口説きのテクニックのひとつではありますが、誰がやっても上手くいくわけではない、と言うことは付け加えておきます。(*゚ー゚)ゞ







DEREK AND THE DOMINOS / Layla (1970)
「いとしのレイラ」 という邦題のついた、エリック・クラプトンがデレク・アンド・ザ・ドミノスの名義で1970年に発表した曲です。 シングルでもリリースされ、全米最高位10位を記録するヒットとなった、エリック・クラプトンを代表する曲のひとつです。

あまりにも有名な曲なのでどうかとも考えましたが、たまにはベタでいくのもいいでしょ。 「切実なる・・・」 という意味ではふさわしい曲であると思うし、七夕におくるラヴ・ソングとしても、まぁいいかな、と言うことで。

この曲は、"名曲誕生物語" としては最も有名なストーリーを持った曲のひとつでしょう。 エリック・クラプトンが、当時 親友の妻であったパティ・ハリスンに恋をしてしまい、その激しい思いがストレートに曲に反映された、世にあるラヴ・ソングの中でも切迫感を持って響いてくる曲であるからです。 パティへの募る想いを表現すべく、何本も重ねて録音されたエリックのギター。 またスカイドッグの異名を持ったデュアン・オールマンの泣き叫ぶようなスライド・ギターも、この曲を激しい恋の名曲にしている大きな要素のひとつです。

「レイラ」 とは、中東に古くから伝わる悲恋物語 『ライラとマジュヌーン』 (Layla and Majunuun) の主人公の名前。 このライラ (Layla) に恋をした青年カイヌは、その激しい思いからやがて狂人と化していくという物語です。

クラプトンはパティへの激しい思いを、いっとき創作のエネルギーに変えますが、当初アプローチをパティに拒絶されたため、それがヘロイン中毒に陥るきっかけにもなってしまったそうです。 後にこの恋は成就することになるので、狂人と化すことなく済んだのですが。

クラプトンは 「いとしのレイラ」 をいくつかのヴァージョンで演奏していますが、「レイラ」 と言えばやはりこの ♪ダララララララ~ のイントロで始まるこのヴァージョンでしょう。












映画 『セッション』

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セッション (原題:WHIPLASH) (2014年・アメリカ) カチンコ  
● 監督・脚本 デイミアン・チャゼル
● 制作総指揮 ジェイソン・ライトマン
○ 出演 マイルズ・テラー/J・K・シモンズ/メリッサ・ブノワ/ポール・ライザー 他



この映画、日本で封切られたのは4月の半ば。 僕自身は6月の始めに観に行ったのですが、まだやっていたんですね。 これからまだまだ全国各地で上映されるようなので、まさにロングラン上映。

この映画に関しては、思う所あって記事にしないつもりでいたのですが、これだけのヒットとなっては記事にしないわけにもいかないのかな、というところで思い切って記事にしてみました。


ストーリー 映画
偉大なジャズドラマーになることを夢みて、名門音楽大学シェイファー音楽院に入学したニーマン (マイルズ・テラー) は、伝説の教師・フレッチャー (J・K・シモンズ) の目にとまり、やがて彼が指揮する学内のバンドに所属することとなります。

そこでレギュラーメンバーとなれば、将来を約束されたも同然。 明るい展望を抱いて初めての練習に参加したニーマンは、すぐに異常なまでの世界を知ることとなります。 常に完璧さを求めるフレッチャーは、ミスをした生徒を罵り吊るし上げどこまでも追及していく狂気の男。 恐怖によって支配されたバンド。

泣きながら、血を流しながら、ひたすらにドラムを叩き続ける毎日。 レギュラーとなるため、憑かれたように音楽道を追求するニーマンは、音楽に集中するため彼女にも別れを告げ、目指す極みへと向かっていくことに。

そして舞台はカーネギー・ホール。圧巻のクライマックスへ




原題の WHIPLASH は、むちひも、むち打ちの意。


音楽? それとも音が苦? ヘッドフォン
映画としては、凄い!です。 音楽を題材にした映画で、こんなにも凄まじい映像体験ができる映画って今までにあったかな、と思えるほどの映画です。 これはおそらくなのですが、楽器をほとんど演奏したことのないひとと、実際楽器を弾きある程度まで到達したひととでは、感じ方が少し違うのではないかと思います。 また楽器を弾く人間の中でも、演奏にかなりの訓練を要するジャズやクラシックに取り組んでいる人間と、もっと フィーリング一発!みたいにしてロックをやってきた人間との間でも、感じ方の違いがあるように思える映画です。

僕はジャズやフュージョンも聴きますが、深い思い入れを持って聴いたというのはジョン・コルトレーンぐらいで、あとは音として楽しんできた感じです。 この映画にあるような、演奏に完璧さを求める音楽よりも、技術で劣ってもフィーリングにあふれた、また衝動を感じさせる音楽にずっと魅了されてきたので、それは多くの場合ロックということになってしまうんですね。

映画の中で、「無能な奴はロックをやれ」 なんて言葉も出てきますが、大人げないと自分で思いながらも、その言葉にはやはり不快感を感じてしまいました。 80年代に、スティングがジャズ・ミュージシシャンを集めてアルバムを作っていた時期があったのですが、そこで彼らが放ったのが 「ロックの連中はレベルが低い」 という言葉でした。 その言葉に憤慨したのか発奮したのか、当時スティングがベースを猛練習した、なんてこともこの映画を観ていて思い出してしまいました。

これはドキュメンタリーではなく劇映画なわけですが、監督のデイミアン・チャゼル自身が高校時代にジャズオーケストラでドラムを叩いていた経験があるとのこと。 そこでの指揮者に対する恐怖と、それを克服するために猛練習に明け暮れた日々の体験が、この特殊な音楽映画の土台となっているそうです。







「音楽をする私としては吐きそうな映画や」と、ジャズ・シンガーの綾戸智恵さんがこの映画についてコメントしていましたが、この映画に出てくる演奏者は、鬼コーチの厳しい鍛錬(いじめ)のもと、誰ひとりとして音楽を楽しんでいるように見えません。 と言うか苦しそうです。

ただこの楽しむという言葉も気を付けなければいけないのは、より高いレベルでそれを楽しみたいのであれば、それこそ気の遠くなるような基礎練習・反復練習と忍耐が必要であるし、それはスポーツの世界なんかでもそうでしょう。ただそれにしても、とても尋常とは言えない "訓練" の日々なのです。

なぜ音程が外れたことで、人間の尊厳の部分にまで触れる罵声を浴びせられなければならないのか。 なぜ、「音楽に没頭するには邪魔だ」 と言って、恋人と別れなければならないのか。「それはそれ、これはこれだろ。 音楽ってもっと楽しんでやるものだろ」 と多くの人が思ったはずです。

これは音楽映画と言うよりは、近いのは70年代に日本で流行ったスポ根ドラマでしょうか。 映画の主役がほかの楽器よりフィジカルの要素の多い (スポーツ的であるという意味) ドラムであるから、なおさらそれを感じさせます。鬼コーチのフレッチャーが、ニーマンに椅子を投げつけるシーンなど、あの伝説の "一徹のちゃぶ台返し" が頭をよぎりました。そうか、これはビッグ・バンド・ジャズという衣装をまとったスポ根ドラマなのか!と。

いや、そんな単純なものでもなく、ストーリーにはひねりもあって、映画としてはサスペンス映画にも似た感触もあります。 そういったシーンの連続による緊張感が、観るものをスクリーンにくぎ付けにしてしまうというのは間違いなくあります。

ラスト・シーン。師弟対決による壮絶な "セッション" を見終わったあと、どっと疲れを感じたひとは多くいたはずです。そのぐらいにのめりこませるものを持っている映画であるのは確かです。










世界でいちばん熱い夏

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暑中お見舞い 申し上げます

いや~ 来ちゃいましたね。 本格的な夏。晴れ
さすが! 夏。 しっかりと暑いです。 いきなり猛暑となったためか、からだが慣れずここのところへばりぎみ。 毎朝つり革にぶらさがって、虫の息状態で通勤しています。

私、8月生まれということもあり、子供の頃は夏が大好きだったのに、最近はしんどさが先にたち、頭にあるのは 「早く涼しくならないかなぁ」 ばかり。 情けないです。

だいたい練馬って暑いんですよ。 "東京で一番暑い場所" ってこともないけど、都内でも暑い地域らしいです。 20年ほど前、仕事の関係で一年だけ広島に住んだことがあるのですが、広島も暑かった。そしてカープ・ファンは熱かった!(関係ないけど)

世界でいちばん熱い夏  ヒマワリ
みなさんにとっても 「夏の定番ソング」 というのがそれぞれにあると思います。洋楽だと、ビーチ・ボーイズなどはいまだによく聴かれていると思うし、ラジオでもよくオンエアされているように思います。 でも "にっぽんの夏" ということでは、日本の曲のほうが多いのかな。

個人的には、「ふたりの夏 / 愛奴」 「少年時代 / 井上陽水」 「高気圧ガール / 山下達郎」・・・。近年の曲では 「夏の宴 / 元ちとせ」 「Oh My Precious Time / Superfly」 などなど。ほかにもたくさんあります。 アルバム単位だと大瀧さんの 『A LONG VACATION』 は、もっともよく聴く夏のアルバムです。サザン・オールスターズや竹内まりやのアルバムも夏にはよく聴きますかね。

プリンセス・プリンセスの 「世界でいちばん熱い夏」 は、広がりを感じさせる解放的な曲なので、夏の曲としては好きな曲のひとつです。奥居香嬢の伸びやかなヴォーカルは夏の曲にはあっている気がします。





このバンドのライヴには行ったことはないのですが、生で聴いたことはあります !?  89年だったか、九段会館で行われたエルヴィス・コステロのライヴに行ったのですが、ライヴが終わっての帰り道、日比谷公園 (つまり日比谷野音) でプリプリの演奏が聴こえてきて、連れとふたり 「少し聴いて行こうか」 ということになり、終演までの数曲 ベンチに座って缶ビールを飲みながら聴いたのです。

あの頃はプリプリの人気は絶頂期にあったと思います。会場の外で聴いていて歓声が凄かったのと 「世界でいちばん熱い夏」 を聴いたのを憶えています。

80年代の中頃、初めてテレビで観たときは 「こいつらアイドル?、でもバンドでやっているし一応アーチストなわけ?」 って感じでした。楽器を持っているんだけど、振りつけとかあって踊りながらだし、色物っぽい感じもありました。ヴォーカルの声は、キャンディースのスーちゃんみたいに聞こえたし、なんだかよくわからなかったですね。

人気が出るにつれて、主張をするようになったのか、そして発言力も持つようになったのか、次第に精神的な意味でロック化していったように思います。 特にヴォーカルの突き抜け感が際立っていましたね。 曲調がロックになったわけではないのですが、歌い方がワイルドになって男っぽくなった感じです。

だから 「世界でいちばん熱い夏」 も、1987年のオリジナル・シングルよりも、89年の平成ヴァージョンのほうが断然いいです。
と言うことで・・・(o^-')b



プリンセス・プリンセス / 世界でいちばん熱い夏 (平成レコーディング)




みなさま、ご自愛して良い夏をお過ごしください ビール






暑い季節に "風をあつめて"

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いや~ クソ暑いなぁ。 まったくディープなブログなんてやってられねぇんだよ! いや すいません、これは独り言です。

そうですね。 暑い日には、夏に鍋料理を食す感覚で、例えばジョン・リー・フッカーみたいなブルースをエアコンを切ってドロ~ンと聴くのも、やけくそぎみで面白いんですけど。
でもやっぱあれでしょ。 24℃設定の涼しいお部屋で、ビール片手にゴロゴロしながら湿度の低い女性ヴォーカル ってのが定番でしょ。

と言うことで題して 「暑い季節に "風をあつめて"」。
決まったな!このタイトル!! (座ぶとん2枚ってだめ?)

今年は松本隆 作詞活動45周年だそうです。
先日、その45周年を記念してのトリビュート・アルバム 『風街であひませう』 という、松本作品のカヴァー・アルバムがリリースされましたが、40周年のときも 『松本隆に捧ぐ -風街DNA- 』 というカヴァー・アルバムがリリースされました。これはけっこう良かったですね。

松本隆の詞の世界って、褪せることのない普遍性というのがあって、だからその時々の若いアーチストたちも好んでカヴァーしたりするわけです。そんなわけでそのアルバム 『風街DNA』 から、いくつかの "風" を集めてみました。



赤いスイートピー ラブラブ
オリジナル・シンガーは松田聖子。 言うまでもなく、松田聖子の代表曲のひとつですが、数ある松本・聖子コンビの作品中でも代表曲ということになっています。作曲者の呉田軽穂というのは、松本氏の指名によって起用されたユーミンのことです。

80年代の松田聖子って、ぶりっこアイドルの代表格のように言われたりして、女性の中には嫌っていた人もいたようです。 "うそ泣き聖子" なんて、お笑いのネタにもされていましたが、歌手としての評価はとても高かったように思います。

僕の母は昔のひとなので、松田聖子が好きであったとは思えませんが、当時テレビの歌番組を一緒に見ていて、「赤いスイートピー」 が流れたときに「この曲好き」 と、ポロッと言ったのを憶えています。

母の口から松田聖子の曲が 「好き」 とは・・・。これにはかなりびっくり。 一瞬 かな縛り状態になりました。 もう間違いなく 「半年過ぎてもあなたって手も握らない」 といった、その詞の世界によるところが大きかったと思います。 あの80年代にあってあの純愛の歌ですから、新鮮の10乗ぐらいのインパクトがあった曲なのですが、母にしてみたらおそらく自然に受け入れることが出来た曲なのだと思います。

『風街DNA』 というアルバムには、綾瀬はるかによるカヴァーが収録されていますが、アルバム中ではもっとも好きな曲です。 綾瀬はるかというひとを詳しくは知りませんが、歌の評価は高いのだそうです。 「赤いスイートピー」 を歌うのって難しいと思いますよ。でもこのヴァージョンはキャラクターにぴったりはまっているような気がします。




綾瀬はるか / 赤いスイートピー (2010)



木綿のハンカチーフ おにぎり
オリジナル・シンガーは太田裕美。 これを名曲と言わずして何て言う、というほどの名曲です。この曲、中学のとき初めてラジオで聴いたときのことははっきりと記憶しています。 田舎に残してきた素朴な魅力を失わない彼女と、上京して都会に染まっていく彼氏との、会話形式の歌詞がとても斬新だったのです。 そしてそこに描かれた世界が。

この曲がヒットした1975年、松本隆という元はっぴいえんどのドラマーは、職業作詞家として歌謡界で試行錯誤を繰り返していたわけですが、この革新的とも言える手法を持った歌詞を、松本氏自身も自身のキャリアでも重要な歌詞として、常に語っています。 作曲・筒美京平との黄金コンビに、太田裕美のキャラクターもぴたりはまって、名曲誕生となったわけです。

今でもパチンコ屋でこの曲が突然流れてきたりすると、涙でかすんで玉が見えなくなるんですよ。 ほんとに (ノ_-。)

この曲もアルバム 『風街DNA』 に、佐藤竹善の歌唱で収録されていますが、やっぱりこの曲は女性シンガーでしょ、ってことで、2006年発表の いきものがかり のヴァージョンも気に入ってます。 3人の初々しいキャラに違和感なくはまっているように思います。吉岡聖恵ちゃんの声がまたいいのです。

この曲のカヴァーは、歌い手がおじいちゃん・おばあちゃん、おじさん・おばさん世代にも愛されるようなキャラであるかどうか、というのが重要なポイントであると思います。




いきものがかり / 木綿のハンカチーフ (2006)



風をあつめて てんとうむし
松本隆が、作詞家に専念する以前に参加していたのが 「日本語のロック」 バンド、はっぴいえんど です。

はっぴいえんど と言うと、やっぱりこの曲が最初にきますかねぇ。 地方出身者が、被害妄想的に東京を描いた歌詞というのは多くあります。70年代後半に、博多や広島から多くのアーチストが上京し成功を収めますが、やはりそんなふうに都会を描いた曲が多く見られます。

僕は東京の世田谷出身なのですが、東京人が東京を描いた はっぴいえんどの詞の世界って、自然な形で入ってきます。

"風街" というテーマを持って作られたはっぴいえんどのセカンド・アルバム 『風街ろまん』 に収録されたこの曲には、都会に住むギラついた野心を持った若者の姿というのは見えてきません。 街を散歩し、淡々と街をスケッチしながらも、大きなイメージを持った幻想的な世界へと形を成していく。 普遍的な歌詞とは、こういったものなのではないか。

歌詞というのは音楽があってひとつの作品である、というのは確かですが、「~です」 を繰り返す歌詞には日本語独特のリズムがあり、また美しさも感じさせると思うのですが、皆さんはどう思われるでしょうか。

My Little Lover によるカヴァーは、『風街DNA』の最後の曲として収録されています。




My Little Lover / 風をあつめて (2010)







松本隆に捧ぐ-風街DNA-/ユニバーサルJ

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松本隆 作詞活動四十五周年トリビュート 「風街であひませう」(通常盤)/ビクターエンタテインメント

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愛の世代の前に

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今年もまた8月6が・・・。あの悪魔の兵器が人類史上初めて人間の上に投下された日です。 そして今年はあの日から70年ということになります。 個人的な広島の思い出を書き綴りながら、そのことについても。 今回は長くなりますよ。


広島 1994
かつて広島に一年だけ住んだことがあります。 一年だけなので、正確には滞在したと言ったほうが良いのかも。 1994年。 広島ではアジア大会が開催され、創設2年目のJ-リーグではサンフレッチェが1st ステージで優勝。 そして広島カープも終盤まで優勝争いをした年。 夏の暑い広島にあっても、あの年はとりわけ熱く、暑かった年です。

勤めていた某外資系CDショップで人事から呼び出され、「広島に出店するので一年だけ行ってきてほしい」 との社命。 あの頃、CDバブルはまだまだ続いていて売り上げが右肩上がりで伸びていた時代。 ライバル会社であったT社やH社とともに、全国に出店ラッシュだったんですね。

当然人材は追いつかず、素人同然の現地採用の社員に、東京から何人かが出向いてバイヤーとしての基本や、売り場作りのノウハウを仕込んで帰ってくるという仕事でした。

最初は嫌でゴネたりもしました。 「広島のひとって怖いんだろ」 という、これはあくまでもイメージの問題なのですが・・・。でも気質としてはぴったり合ってしまい、最後のほうは会社に 「ぶち楽しいけぇ、もうちょっとおってもええよ」 なんて言うぐらいの気持ちになってしまったんですけどね。

当時の広島球場のノリなんかに一番顕著なのですが、広島のひとって熱いひとが多いです。 ストレートで裏表がなく熱い! そして意外なほどシャイで純粋なところもある。 これが僕のおおざっぱな広島人の印象です。

でも広島弁って慣れるまではやっぱり怖かったんですよ。 なんかケンカを売っているようにも思えたあの語尾。 見かけは東京と変わらない可愛い女の子の口から 「じゃけぇ」 と言うあの方言を聞いたときなんか、「あちゃー!嘘やろ」 って感じでした。

同じ東京から出向いた社員と仕事のことで激しく口論になったとき、現地の女性スタッフから、「東京もんのケンカは生っちょろい」 なんてことを言われた時も、びっくり! でもそういったところもまた好きになってしまったんですね。

今振り返って見ればいい思い出ばかり。 8月の店休日には、みんなして瀬戸内海の能美島にキャンプに行ったりもしました。 海も山も近いのが広島。 ゴミゴミして人の多い東京と比べるとまるでリゾート地です。 大型店舗であったためスタッフは30人近くいましたが、みんなどうしているのかなぁ・・・。




やん in 能美島 (1994)
さて、やんは何処に? ってウォーリーじゃないんだから (^_^;)


毎朝、原爆ドームから程ない距離にある職場へ路面電車で通勤していた日々。 その路面電車には、被爆電車といわれる、あの日 広島で被爆した電車も現役車両として走っていました (これは現在でも走っているようです)。 原爆が投下された3日後には、もう運行を再開したそうです。 言ってみれば広島復興のシンボルとも言える車両です。

8月6日の、原爆が投下されたその時刻 (午前8時15分) に原爆ドームに行ってみると、ダイ・インという地面に寝そべって核への抗議を示す行動の真っ最中でした。 そういった活動を知らなかった為かなり驚きましたが、そのことを後日 休憩時に店のスタッフに話すと 「みんな寝とったやろ」 と笑い話に転換されてしまいました。

広島であっても、若い世代は原爆への意識は薄れているのかと思いいろいろ聞いてみると、子供の頃からのいわゆる "平和教育" によって、うんざりしているところがあるとのこと。会話を進めていけば、被爆した祖父母、親戚の話が普通に出てきて、「やっぱりここは広島なんだなぁ」 と・・・。 彼らにしてみれば 「突然やって来た東京もんが、ことさらに騒いでいる」 と言うのがあったのかもしれません。



愛の世代の前に
浜田省吾、1981年発表のアルバム 『愛の世代の前に』 に収録された曲。 浜田省吾は広島出身。 父親は被爆者で、この曲は核兵器をテーマにして8月6日に作られた、浜田省吾にとっては必然性を持って作られた曲であるとのこと。

歌詞に出てくる 「一瞬の閃光(ひかり)」 というのは、すべてを焼き尽くしてしまうあの爆発の事です。 浜田省吾は、「一瞬にしてすべてが消滅してしまう核というものが作られてからはすべて同じ世代であり、それが全廃されてゼロになったときこそが、ほんとの "愛の世代" なのではないか」 ということを常々語っています。

こういった曲は誰でも歌える曲ではないんですね。 こういった曲を 「自分にとっては必然的な曲」だと堂々と言い切って歌えるシンガーって他にいるでしょうか。2度と現れることのないシンガーであると思います。








核兵器というのはすべての悪の頂点にある絶対悪です。
一瞬ですべてを吹き飛ばしてしまうその悪魔のもとでは、右も左も、宗教の違いも、正義も不正義もないでしょう。

昭和20年の貧しい日本のあのときであっても、笑顔で会話を交わす家族、友人たち、恋人たちもいたはずです。 何万という命が一瞬で消滅してしまった日。 生き残ったひとたちからも笑顔を奪い・・・

あの日、爆心地に立ち空を見上げ、想像してみました。
一瞬の閃光を・・・








ラブ & マーシー  終わらないメロディ

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ラブ & マーシー 終わらないメロディ (2015年・アメリカ)   
● 監督 ビル・ポーラッド
● 脚本 オーレン・ムーヴァーマン、マイケル・アラン・ラーナー
○ 出演 ジョン・キューザック/ポール・ダノ/エリザベス・バンクス/ポール・ジアマッティ 他



ビーチ・ボーイズのソングライターで中心的存在、ブライアン・ウィルソンの半生を描いた映画 『ラブ & マーシー 終わらないメロディ』 を観てきました。 ビーチ・ボーイズ、及びブライアン・ウィルソンのファンは黙っていても観に行くでしょう。 でもこの映画、伝説のアーチストの自伝映画ではありますが、マニアとかではない普通の映画ファンにもすすめたい映画です。ひとりのアーチストの魂の物語として、とても感動的な映画です。

才能のあるひとほどその悩みは深いもの。 ゆえに偉大なアーチストと言われる人たちの人生はドラマチックな場合が多いのですが、ブライアン・ウィルソンほど波瀾万丈で、そしてドラマの多いアーチストというのもなかなかいないでしょう。






映画は、60年代のビーチ・ボーイズ時代のブライアンをポール・ダノが演じ、長い隠遁生活ののち、ソロ・アーチストとして復活しようかという頃 80年代のブライアンをジョン・キューザックが演じています。 そしてそのふたつの年代のブライアンが、場面を交互に入れ替えながら同時に描かれ進んでいくという構成になっています。

ポール・ダノという若い役者のことを詳しくは知りませんが、若い頃のブライアンに違和感なくはまっているように思いました。 というかブライアンに見えます。 ただジョン・キューザックについては、ブライアン・ウィルソンとしてのめり込んで見るまでに少々の時間を要したというのはあります。あまりにも顔の売れているひとなので、どうしてもすぐには・・・。これは演技の問題ではなく、ジョン・キューザックはいつまでも大人になりきれない無垢な表情のブライアンを上手く演じていたと思います。

現在公開中のこの映画は、全国でこれから順次公開されていくようです。 ブライアン・ウィルソン公認ということになっているので、そのあたりがこの映画の重みではあるのですが、現在のブライアンって、なんかいつも遠くをみている仙人のような感じなので、「どこまできちんと映画を見ているのかな・・・」なんていう疑問も多少あります (*゚ー゚)ゞ。 でもなんといっても萩原健太さんも推しているので、そのあたりで保証つきの映画ですね。






THE BEACH BOYS 60's
64年のビートルズのアメリカ制覇とともに、ブライアンの苦悩の日々は始まります。 レコード会社のヒット要求と、実質ビーチ・ボーイズを支配していた父親からのプレッシャー。 要するに 「ビートルズに負けるな!」 と言うわけですが、そのプレッシャーからブライアンが最初に精神に破綻をきたしたのが64年12月。 コンサートに向かう飛行機の中で 「飛行機から今すぐ降りたい!」と言って、泣きわめくところから。

この場面が映画の中でもしっかりと描かれています。そうなんですね。 この映画はそういった、ブライアンのファンであれば知っている伝説的なエピソードが映像化されているのです。 特にスクリーンに釘づけとなってしまったのは、現在ではロック史に残る名盤である 『ペット・サウンズ』 の録音場面です。 この録音風景が、史実に沿って実に丁寧に描かれているのです。

『ペット・サウンズ』 は、ブライアンが精神破綻からさらにドラッグに走り、グループのコンサート・ツアーには参加せず、スタジオに籠って外部のミュージシャンを集めて作り始めたアルバムです。 日本ツアーから帰国したメンバーは、ほぼ完成していた曲のトラックを聴かされびっくり。 「こんなのはビーチ・ボーイズのアルバムじゃない!」 と、マイク・ラヴがブライアンと衝突する場面も、また映画の中で登場します。

"車とサーフィンとカリフォルニア" のイメージで売っていたビーチ・ボーイズなので、あまりにも内省的な内容のアルバムにメンバーは戸惑ったわけです。 このアルバム作りの動機の発端は、ビートルズの 『ラバー・ソウル』 をブライアンが聴き、衝撃を受けた所から始まるわけですが、そんなエピソードも映画の中では語られています。

アルバムに収録された 「素敵じゃないか (Wouldn't It Be Nice)」 は映画の最後の場面に登場します。 ハーピーエンドに、ブライアンのファンであれば涙するこの場面・・・
う~ん、この素晴らしい場面はぜひとも映画館で観ることをすすめます。




THE BEACH BOYS / Wouldn't It Be Nice (1966)


BRIAN WILSON 80's ~
僕はビーチ・ボーイズの音楽自体は70年代から聴いていますが、ブライアン・ウィルソンというひとを本当に意識するようになったのは、88年にリリースされたブライアンの初ソロ・アルバム 『BRIAN WILSON』 からです。そういうひとは多いのではないでしょうか。

アルバムのエグゼクティブ・プロデューサーには、ユージン・ランディなる人物が記され、曲も大半がブライアンとランディの共作ということになっています。 ブライアンを 「妄想型統合失調症」 と診断したこの精神科医は、ブライアンを金儲けに利用した人物として現在は悪名高い存在となりました。

でも当時僕は 「ランディ医師のおかげでブライアンは復活したのか」 なんてふうに、アルバムのクレジットを見て思ったりもしていたのです。 映画の中では、絵に描いたような悪人として登場します。面構えや表情などからしても、とてもわかりやすい悪人です。

そして80年代のブライアン・ウィルソンにとってのもうひとりの重要な人物が、メリンダという女性です。 ブライアンはこの女性によって救われるわけですが、後に妻となるメリンダという女性が、ブライアンにとってこれほどまでに重要な存在であったとは、この映画を観てはじめて知りました。

「ビーチボーイズを聴いて育った」 という彼女は、はじめ太って華やかさも消えたブライアンを、あのビーチボーイズのブライアンと気づかずに出会います。そして 「さびしい、こわい、怯えている」 というブライアンの残したメモを見て、そしてまったく飾らない子供のような表情を無防備に見せるブライアンに、やがて魅かれていくわけです。 アメリカ映画には、こういった男を包むような母性を持った強い女性がよく登場しますが、メリンダもそういう女性です。

映画のタイトルにもなった 「ラブ & マーシー」 は、メリンダを隣に座らせてブライアンがピアノを弾き語る場面で登場します。 「時々、内なる声が聞こえてくる・・・」。 そのようにメリンダに語ったあと歌い始めるのです。 このときのメリンダを演じたエリザベス・バンクスの表情がとても良いのです。 ラストシーンと並んで大好きな場面です。




BRIAN WILSON / Love And Mercy (1988)






エンドロールには、現在のブライアン・ウィルソン本人のコンサートの模様が映し出されます。ブライアンをリスペクトする若いミュージシャンたちに囲まれて、長かった魂の物語もようやく安息の地へたどり着いたことをうかがわせる、素晴らしい場面によって映画の幕は閉じられます。




BRIAN WILSON and "THE BEACH BOYS"

加えてみよう音楽を、君の人生に・・・

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ザ・ビーチ・ボーイズ
THE BEACH BOYS
『Add Some Music To Your Day / アッド・サム・ミュージック・トゥ・ユア・デイ』


音譜
日曜の朝の 魂に響くゴスペル
ブルース、フォーク、カントリーもある
そして転がる石のようなロックも
世界はひとつになれるかもしれない
太陽の下で 人生に何か音楽を加えてみたとしたら

散歩をしてみれば
近所の家々から聞こえてくるだろう
遠い電話の向こうからだって
はっきり聞こえてくるはずさ
歯医者の診察台に座っていたって
君のための音楽が聞こえてくるだろう
君の人生に少しの音楽を加えようと・・・

音楽加えてみよう すべての音楽を

歯科医はそれで患者を静まらせ
牧師も讃美歌にそれを取り入れた
そう、君の暮らしにいくつかの音楽を

君が孤独のときだって
音楽は魂の道づれになってくれるよ

一日が終わるころ
疲れた目を閉じてみる
すると聞こえたんだ
僕の魂に息づく音楽が・・・

The sunday mornin' gospel goes good with the soul
There's blues, folk, and country, and rock like a rollin' stone
The world could come together as one
If everybody under the sun
Add some music to your day

You'll hear it while you're walkin' by a neighbor's home
You'll hear it faintly in the distance when you're on the phone
You're sittin' in a dentist's chair
And they've got music for you there
To add some music to your day

Add some music music everywhere
Add some add some add some add some music
Your doctor knows it keeps you calm
Your preacher adds it to his psalms
So add some music to your day

Music when you're alone
Is like a companion for your lonely soul

When day is over
I close my tired eyes
And I heard ・・・ music is in my soul

音譜


1970年発表、アルバム『サンフラワー』に収録されたナンバーです。 シングルとしては全米最高位64位を記録。 個人的には、ビーチボーイズの全ての楽曲の中でもベスト3に入るほど好きな曲なのですが、メディアには積極的に取りあげられる機会の少ない曲です。

アルバム自体、1970年という時代にあって、穏やかで温かい雰囲気に満ちた内容。 それはジャケット写真にも表れています。 そして「Add Some Music To Your Day」は、その中でも、とりわけ平和の香りに溢れた陽の光を感じさせるナンバーです。






音楽 (平和) を愛するすべてのひとに おんぷ
「君がひとりぼっちの時は、音楽が魂の道連れになってくれる 加えてみよう音楽を 君の人生に...」。 素朴で素直な言葉の連なる歌詞なのですが、明るい日差しを感じさせる曲調とともにとても癒されます。 そして Add という動詞ではじまる曲のタイトルにはメッセージ性も感じます。

山下達郎氏の言葉に 「歌は世につれ、世は歌につれない」 という名言(?)があるのですが、同感です。 音楽で世の中を変えることはできないと思います。ただまったくの無力というわけでもないでしょう。 即効性はなくても漢方薬のような効き目はあるのではないかと。

たとえばビートルズやビーチ・ボーイズの曲を聴いて育った若者が、そのメンタリティを持って世の中を動かすような立場に立ったとしたら・・・。かつてポール・マッカートニーが、ソビエトの指導者であったゴルバチョフのことを、「ビートルズ世代のメンタリティを感じる云々・・・」 と評していましたが、そういうことなのではないかと思うのです。

ただ、ヒットラーのように、ワーグナーの音楽の持つ、聴き手に陶酔と興奮をもたらす効果を政治利用した人物もいます。言い方を変えれば、音楽の持つ力を熟知していたとも言えます。使い方を誤ればとんでもないことにもなるのですが。



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山下達郎 / ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY (1972)


ビーチ・ボーイズを愛する山下達郎氏が、デビュー前に自主制作で作ったアルバムのタイトルが 『ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY』 です。達郎さんは、音楽の中ではもちろん、それ以外でも政治的なことを語ることはありませんが、「音楽で世の中を変えることはできない」 と思いつつも、音楽の持つある種の力を信じてきた人ではあると思います。

それは癒しであったり、慰めであったり、励ましであったり。1972年という熱い政治の季節の中にあっても、刃物のような切れ味を持ったメッセージではなく、『加えてみよう、君の人生に音楽を』 という言葉を選んだところに、山下達郎氏のやさしさと音楽への深い愛を感じるのですが。

ブライアン・ウィルソン、マイク・ラヴ、ジョー・ノットの共作によるこの楽曲。 詞、メロディー、そしてコーラスワーク・・・ すべてがポジティブなベクトルへ向かうとき、ビーチ・ボーイズの楽曲はこういった曲となるんですね。 広がりを持った明るく美しく輝くこの曲を聴いていると、とても幸せな気持ちになるのです。








8月14日は、わたくし不肖やんの誕生日でした。
もうずっとのことですが、15日の終戦の日とセットのようにしてやってくるんですね。ただひたすらに音楽を愛するひとりの凡人として、今回はこんな記事にしてみました。


Add Some Music To Your Day !   ヒマワリ






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ONCE ダブリンの街角で

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ONCE ダブリンの街角で (2007年・アイルランド)   
● 監督 / 脚本 ジョン・カーニー
● 制作 マルチナ・ニーランド
○ 出演 グレン・ハンサード / マルケタ・イルグロヴァ 他



20日に、目黒シネマにて上映された 『ONCE ダブリンの街角で』を観てきました。 ジョン・カーニー監督特集として 『はじまりのうた』 とともに2本立てとして上映されたものです。

2007年に公開された映画であるし、当時話題になった映画なのですでにご覧になっている方も多い作品であるとは思いますが、僕自身は見過ごしていた映画だったので。 『はじまりのうた』 は今年始めの劇場公開時にすでに観ているのですが、それがとてもいい映画であったため、今回の特集上映に足を運ぶに至りました。

本ブログをいつも読んでくれている方の中には、音楽活動をしている方もいるようですが、そういう方たちには、"やんに騙された" つもりでぜひとも観てほしい映画です。 楽器を演っていない人であっても、音楽好きを自認しているような方にも薦めます。 今さら言うまでもなく、音楽映画としては最高の部類でしょう。 ヒット作なので、大抵のレンタル店で扱っていると思います。
 





ストーリー (ネタバレ注意) カチンコ
舞台は、アイルランドの首都・ダブリン。 ストリート・ミュージシャンで生計を立てる主人公の "男" は、掃除機の修理店を営む老いた父親との二人暮らし。 ひと気のなくなった夜の街角で歌う "男" に、10セントを投げ入れ 「あなたの曲?」 と言って声をかけた "女" は、母親と幼い娘を連れてチェコからやってきた貧しい移民者。

"男" は、翌日 「修理してほしい」 と言って掃除機を持ってやってきた "女" と再会。 彼女が音楽に精通しピアノも弾くことを知る。 "男" は、"女" が高価な楽器であるピアノを買うことが出来ないため、いつも店主の好意で弾かせてもらっているという楽器屋で、彼女とのつかの間のセッションをすることとなります。

ふたりのギターとピアノの音は重なり、声は美しいハーモニーとなり楽器屋に静かに響く・・・。そこで歌われたのは、やがてふたりに訪れる旅立ちを歌った "Falling Slowly" 。

互いに惹かれあっていくふたりでしたが、"女" は家族を養うための生活に追われ、"男" もかつての恋人との過去を拭い去ることが出来ずに過ごす日々。

やがて・・・ ロンドンへ渡ることをミュージシャンとして決意した "男" は "女" に、「デモテープ作りを手伝ってほしい」 と提案。ストリートで演奏していたバンドもメンバーに加えて、レコーディングを敢行。 はじめ彼らをバカにしていたスタジオ付きのエンジニアも、"男" の曲を聴くと感嘆し全面協力。そして作品は完成します。

楽器屋で彼女に贈るピアノを手配した後、男はふたりの絆の結晶となった作品を持って、ひとりロンドンへと旅立つ。






音を重ね、そして声を合わせるということ  ハート
主役を演じたふたりは、役者ではなく本物のミュージシャンです。 "男" を演じたグレン・ハンサード" は、アイルランドでは名の知れたバンド、ザ・フレイムスのヴォーカルとギターを担当するグループのリーダー。

"女" を演じたマルケタ・イルグロヴァは、チェコ在住のシンガー・ソングライター。 グレンとは映画出演以前に出会い、グレンのソロ・アルバムにも参加。 それがこの映画の出演につながったとのこと。

そして監督であるジョン・カーニーも、ザ・フレイムスの初期メンバーとしてベースを弾いていたこともある元ミュージシャン。 つまり演奏シーンに関しては演技ではなく、監督も音楽のことをよくわかっている人なわけです。音楽で愛を語る映画の作り手としては、申し分のない3人とも言えます。

ストリート・ミュージシャンが、移民の女の子と街角で出会い一緒に演奏し、そして互いに惹かれあっていく。 友情は愛情へと発展していくのだけれど、最期は別の道を歩んでいくこととなる。 ありそうなストーリーなのだけれど、そこに音楽が介在している点がこの映画の素晴らしさなのだと思います。

ラヴ・ストーリーであっても、ふたりがからだを合わせたり、唇を重ねたりする場面はありません。 ふたりはギターとピアノの音を重ね、声を合わせることによって絆を深めていくのです。

あなたが音楽をやる人間であったとしたら、素晴らしい声の異性と出会ったとき、歌で声を合わせたいと思うかもしれません。 素晴らしいピアノを弾く異性に出会ったとき、一緒に演奏したいと思った経験があるかもしれません。

僕自身は、これも恋愛感情のひとつであると思っていますが、とても純度の高い感情なのではないかと思っています。ただメイク・ラヴするのではなく、ふたりで目には見えない美しい何かを作り上げることが出来るわけですからね。



フォーリング・スローリー / FALLING SLOWLY ..音譜

沈みそうな船で家を目指そう
Take this sinking boat and point it home


まだ時間はあるから
We've still got time


希望の声をあげろ、自分で選んだ道だ
Raise your hopeful voice you had a choice


きっと君はたどり着ける
You've made it now


ゆっくりと歌おう 君のメロディを
Falling slowly sing your melody


僕も一緒に歌うから
I'll sing along




GLEN HANSARD & MARKETA IRGLOVA / Fallinf Slowly
主演のふたりによって作られた曲。 ふたり楽器屋でセッションする場面で、最初に登場する曲です。




目黒の街角で ・・・  映画
今回の目黒シネマ。 初めてでしたがとてもいい映画館でした。座席数100のミニシアターです。

館内ロビーには、スタッフの手による映画にちなんだ飾りつけがなされ、貼り出された上映作の解説文も工夫がされていて、質素ながら手作り感を持った映画館です。大資本によるシネコンとかいう複合映画館が嫌いな僕にとっては、いろんなことから逃げ込める空間をまたひとつ見つけることが出来た! といった感じで嬉しい気持ちになりましたね。

若い女性スタッフに 「いい映画館ですね」 と声をかけると(ナンパ目的ではない)、笑顔を見せてくれました。 話を伺うと、60年の歴史を持つ映画館とのこと。その間には、改装やら経営方針やらいろんな変化もあったでしょうが、とにかく現在は名画座として続いているわけです。

翌日の仕事帰り、館内で配布されていたアンケートを渡すため再び立ち寄ると、たまたま昨日と同じ女性スタッフが受付にいたため、また少し話し込むこととなりました(ナンパ目的ではない)。

館内の飾り付けなどは、何人かの女性スタッフによって行われているとのこと。僕が 「横浜にある "ジャック & ベティ" という映画館に少し雰囲気が似ているよ」 と話すと、彼女も 「あっ!」 と言った感じでうなづいていました。

館内で配られていた、スタッフのイラストによる1枚の映画プログラムを、「現在読んでいる本に挟んで大切にとっておくつもり。今夏の思い出のひとつとして」 と、アンケートに書いて彼女に渡したのでした (キザだがナンパ目的ではない。しつこいか)。

(^_^)v






トライ・サム・バイ・サム

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ジョージ・ハリスン
GEORGE HARRISON
『トライ・サム・バイ・サム / Try Some Buy Some』


音譜
昔のこと、
誰かに少しためしてみたらと言われ
僕は少しためしてみた
次に買ってみたらと言われ、今度は少し買ってみた
しばらく経ってためし終え、それらを拒んだ僕は
目を開いて君を見たんだ

僕は何ひとつ持っていなかった
僕は何ひとつ見えていなかった
君への愛を求め
君の愛が僕を訪れてくれるまでは

Way back in time, someone said try some
I tried some, now buy some, I bought some,
After a while when I had tried them, denied them
I opened my eyes and I saw you

Not a thing did I have
Not a thing did I see
Till I called on your love
And your love came to me
ラブラブ


1973年発表、アルバム 『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』 に収録。 もとは、1971年に元ロネッツのロニー・スペクターのために書かれた曲。 そして同年、彼女のソロ・シングルとして、アップルよりリリースされています。 ジョージ・ハリスンは、同じバック・トラックを使用して歌を差し替えて録音。 アルバムに収録しています。






僕は何ひとつ持っていなかった
この曲が世間的な尺度で名曲と言われているかどうかは別として、個人的には歌詞、メロディ、コード展開 にジョージ・ハリスンらしさが出ていて好きな曲です。 コンポーザーとして、ジョン・レノン、ポール・マッカートニーには作ることの出来ないでしょ。 この曲が書かれた1970年頃には、ジョージはアーチストとしてジョン、ポールとは違う自分の世界を築き上げていたことがわかります。

この曲の収録されたアルバム 『リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』 自体が、富や欲望に執着して精神性を失った西洋社会への警鐘なわけですが、アルバム発表より数年前に作られた曲ながら、アルバムのコンセプトから外れたものではなかったこともあり、自身のヴァージョンで収録ということになったのでしょう。 ただアルバム中、この曲のみフィル・スペクターとジョージの共同プロデュースとなっているため、音像の違いは感じます。

2番の歌詞には 「人生の中で、大物たち (Big fly) と出会い、ハイになるため死んでいく人たちを見てきた」 なんていう件もあります。 60年代にスーパー・スターとなったロック・アーチストはビートルズだけではありませんが、音楽という枠を越えて世界のトップに登り詰めたのはビートルズだけではないかと思います。

若くして成功を掴んでしまった彼等には、その若い感性ゆえに、他の誰にも見えないものが見えてしまったというのは当然あったと思います。それを作品として形に留めたという所に、アーチスト・ジョージ・ハリスンの素晴らしさがあるのではないかと思うのですが。

ビートルズとして成功を掴む以前から、ジョンとシンシアの後ろにいつもくっついて歩いていたというジョージですが、精神世界の探求の深さという意味においては、この時点でジョージはジョンと肩を並べたのではないかと思っています。






ポップ・アイコン、ロニー・スペクター
元ロネッツのリード・ヴァーカルで、プロデューサー・フィル・スペクターの夫人でもあったロニー・スペクターは、1970年当時、嫉妬深い夫を嫌悪し離婚を訴えていたそうです。フィルはロニーの機嫌を取るためにロニーをロンドンに連れていき、ジョージがロニーのために書いた曲、「トライ・サム・バイ・サム」 をアビー・ロード・スタジオにて録音したとのこと。

残念ながら、ロニー・スペクターは曲の持つ精神性が肌に合わず、曲としてはあまり好きにはなれなかったようですが。 もう一曲、ジョージがロニーのために書いた 「You」 のほうが、ロニーには相応しいようにも思います。 ただ、あのロニーお得意の 「Woh ho ho ho」 が聴けるだけでも、ロニー・スペクターのファンとしては買いなんですけどね。






「買い」 と言えば、ロニーのヴァージョンは長くCD化されずに、高価なアナログ・シングルを購入して聴いていたのを思い出します(80年代末頃、5000円ぐらいだったかな)。 2010年に 『THE BEST OF APPLE RECORDS』 でCD化され聴けたときは感動しました(それ以前はなかったはずですが)。

ジョージは憧れのロニーのために曲を書いたわけですが、ビートルズのメンバーだけでなく、ストーンズのメンバーのほとんどがロニーのファンであったそうです。 これはよく知られていますが、言い寄る男たちの中で、ロニーが恋に落ちたのはキース・リチャーズであったとのこと。









これは付録  (・ω・)/
ふたつのヴァージョンのバック・トラックが同じであるため、ふたりのヴォーカルを交互にして勝手にミックスしたものがいくつかアップされていました。 まぁこれはあくまでも洒落ということで、それぞれのファンには受け取ってほしいかな、と。










ベスト・オブ・アップル/EMIミュージックジャパン

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リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド/ユニバーサル ミュージック

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Money

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たまには本音で書かせてもらうよ (-з-)

元少年だったあの男が書いた本が売れ続けているそうだ。すでに25万部を突破し、何千万だかの印税収入を手にするとか。 そりゃ売れるだろう。俺だって読んでみたいよ。 「いったいどういう精神構造を持った人間なのだろう」 という興味はあるよね。 まぁ買わずにどこかで借りて読むけどさ。

じゃ 自分が出版社の社長で、あの本をいざ出すとなったらどうだろう。普通の人間であったなら、深く考えてかなり悩むと思う。どうしたって遺族の気持ちが頭をよぎるし、ああいったバケモノに大金を持たせても良いものだろうかとも考えるしね。

あの本の出版を企画した人たちには 「間違いなく売れる」 という確信に近いものはあったはずだ。 「出版を断念すれば活字文化の衰退につながる」 とか 「これは世に問うべきだ」 とか、ヘドが出るぜ! 「これは売れると思ったから出版した。儲けたかったんでね」 と、言ってしまえよ! そうすりゃ "日本俗物史" の系譜のトップに名を連ねることにもなるだろうし。



PINK FLOYD / Money



日本人が "売れるものなら何でも売る" 民になってしまったのはもうずっと昔からのことだ。 「バブルが日本人の持っていた美徳を粉々にしてしまった」 と言うけれど、それも確かにあったと思う。

その頃、社会に出て初めて勤めた会社の上司に言われたことがある。「世の中7割の人間は金で動くけれど、3割の人間はそれだけでは動かない。 その3割の人間を大切にしろ」と。そのひとは金で簡単に動く人間であったけれど、それゆえに金で動かない人間に対しての尊敬の気持ちがあったのかもしれない。

今じゃその3割はおそらく1割にも満たないだろうが、そのバブル期にあっても、自分の信念を頑なに守って生き続けた人間も間違いなくいたと思う。 "金ですべてが動いてしまう世の中" に対して、強く反発する人間が僕の周囲にもいた。



ABBA / Money Money Money



21世紀になって、ゲームの裏ワザを見つけてテレビ局を買おうとした、あの男を見たときに決定的に絶望的な気持ちになった。 バブルで悪い風邪にかかり、それをこじらせ続けた成れの果てを見たような気がした。

あの男は結局、塀の向こうに落ちてしまったけれど、しかし転んでもただでは起きない輩。 したたかだった。 自分の犯罪を商品化したんだね。 『刑務所なう』 だってさ。 恥知らずもここまでいくとある意味すごい。 もう "日本俗物史" の殿堂入りだね。

こういう事を書くと、「お前は世の中の負け犬だ」 という奴もいるだろうけど、負け犬でけっこう。 貧乏であっても、恥の感覚だけは失わずに生きて行きたいね。
少しの金とユーモアがあれば、何とか楽しくやれるものさ (^_^;)





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ビートルズ 1995

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ビートルズが解散したのは1970年。 なのに 「ビートルズ 1995」 ってどういう意味かって?。 解散後、唯一 "再結成" をした年だからです。 「あんなもん再結成じゃねぇよ」 とか言ってる奴いそうですね。 ごもっとも。 だから再結成すべてを "" で囲って語りたいと思います。

"再結成" 第一弾シングルの 「Free As A Bird」 がリリースされたのが、1995年12月。 あれからもう20年経つんですね。 ビートルズの現役時代の記憶がほとんどない僕等第2世代と、それ以降のファンにとっても、あの年の出来事ってけっこう大きなことだったのです。

1980年代から、水面下では動き始めていた ビートルズの歴史のすべてを集大成したドキュメンタリーの企画。 アップルと元ビートルズの3人によってそれはすすめられていたわけですが、事が他ならぬビートルズだっただけに、そう簡単には実現しなかったわけです。

その機が熟したのが、90年代に入ってからということになります。 伝説化していたビートルズ・ストーリーも、話には尾ひれが付き、そればかりかなかった事実も語られ、と言ったことに対し、「このあたりで本当の真実を語り残しておかなければならんだろう」 と3人が考えたのは当然とも言えます。

その 「アンソロジー・プロジェクト」 と名付けられた、音と映像と書籍によるビッグ・プロジェクトの一番の目玉となったのが、ビートルズ 25年ぶりの "新曲" 「Free As A Bird」 と 「Real Love」 です。

このプロジェクトの実現にはヨーコの協力も当然あったわけですが、ヨーコがジョンの残したデモ・テープをポールに渡したのが、1994年1月。 ジョンが殿堂入りした 「ロックン・ロール・ホール・オブ・フェイム」 の式典会場でのこと。ポールとヨーコの歴史的和解と言われています。

そのテープに他の3人が加わって、ビートルズとしての "新曲" は完成に至ったわけです。ポール、ジョージ、リンゴの3人は、ジョンが 「仕上げは任せたよ」 と言って休暇に出てしまったという設定のもとに曲を作り上げたとのこと。 経緯はだいたいそんな感じでしょうか。





Free As A Bird
この曲かなり好きです。 音質の悪いデモ・テープをよくぞここまで仕上げたなぁ、と思います。この曲の共同プロデューサーとなったのが、E.L.O. のジェフ・リン。 貢献度は大きいと思いますが、若いころから大のビートルズ・フリークであったジェフ・リンなので、ビートルズの歴史の中に自分の名前を残せるとなれば、それはもう一世一代の大仕事なわけで。

ただ・・・。 あのドラムの音に関しては 「おい! ビートルズなのに E.L.O. サウンドじゃねぇかよ!」 という批判が、一部のビートルズ・ファンからあったのも確かです。

ジェフ・リンと交流があったのはご存知のようにジョージ・ハリスン。 ジョージがジェフを連れてきたとき、ポールには最初 懸念もあったといいます。 「えー! あのジェフ・リン・サウンドにするつもりかい?」 って思ったのでしょうね。 後にポールは自らのアルバムでジェフ・リンをプロデューサーとして起用しているので、この時のジェフの仕事を評価したようです。

ビートルズ末期にはジョージといろいろあったポールも大人になったのか、あるいはジョージに押し切られたのか。 結果的にはジョージに譲ってジェフを起用したことは、ポールにとっても実りのあるものとなったようです。

ポップな 「Real Love」 と比べると、「Free As A Bird」 には、ブルージーな味付けも感じますが、それはジョージのスライド・ギターに負うところが大きいでしょう。 ポールも絶賛したというプレイですが、最初に感じたのはおそらく驚きだったのではないでしょうか。

正直に言うと 「ジョージってこんなに渋くて深みのあるスライド・ギター弾けたの!?」 と当時思いました。「コレ、またクラプトンが弾いてるんじゃねぇの!?」 と。 (これは質の悪いジョークですね (;^_^A)。

ジョージのスライド・ギターと言うと、ハワイアン・スティールに例えるひともいるほどの、ブルースからは遠いところにあったプレイ。それがあのプレイでしょ。 非常に繊細でジョージらしいところも感じる、それでいてブルージーな味わいも感じるし。 音数の少なさが逆に一音に感情を込めることにつながった素晴らしいプレイです。

そして、鳥がゆったりと空を飛び俯瞰しているようにも感じさせるプレイは、曲の持つイメージにぴたりと重なるものでした。



THE BEATLES / Free As A Bird (1995)
本国イギリスでは12月4日の発売。 最高位2位。全米では最高位6位を記録しています。



ビートルズ現象 1995
「Free As A Bird」 は、当時のテレビ朝日の 「ニュース・ステーション」番組内 にてPVとともに放送されたのが最初でした(11月20日)。 これはテレビを食い入るように観て曲を聴きました。 何しろ、ビートルズの "新曲" なわけですからね。テレビ朝日は、年末にテレビ版の 「アンソロジー」 を放送するとあって、力の入れようはかなりのものでした。

そして11月22日には、「Free As A Bird」 の収録されたアルバム 『ANTHOLOGY 1 』 がリリース。この時のこともはっきりと記憶しています。普通アルバムの発売というのは正式発売日前日には店頭に並んだりします。早い場合は前々日の夕方に並んでしまうものもあります。現在では フラゲなんていう言い方があるようですが、そういったことは昔からあったんですね。

でも 『ANTHOLOGY 1』 に関しては、本国イギリスのビートルズ側から厳しいお達しが世界中のEMIに出されたのです。 "フラゲまかりならぬ" というわけです。 で、問屋からの出荷が発売日当日の朝。 朝の開店時には、間に合うように出荷はされるわけですが、開店時間前に、扉の外には客が並んでいる状態でした。新しいゲーム機の発売などと同じですね。

ぼくが当時勤めていた某外資系CDショップの新宿店には、マスコミの取材も来ていました。 このあたりは、さすがビートルズ! といったところ。そして開店時の扉が開くと同時に店内に流れたのが 「Free As A Bird」 というわけです。


もう20年前の11月22日のお話です。



THE BEATLES / Real Love (1996)
こちらは1996年発売の 『アンソロジー 2』に収録された、もうひとつの "新曲"。 と言ってもジョンのヴァージョンは、映画 『イマジン』 で使用されていましたが。 ポップな曲調であってもジョンらしい温かみも感じさせます。







J の履歴

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日本のポップ・ミュージックが J-ポップと言われ、音楽ファンのあいだで定着したのっていつ頃だっただろう。70年代には、そんな言葉はかけらもなかった気がする。あったのは歌謡曲とフォークとニュー・ミュージック・・・ 。

80年代でも定着まではしていなかったような・・・。ただ J- 何々、という、日本の何だかをそういった洒落た呼称で呼ぶようになったものが、ぼちぼちと出てきたのはあったのかな。浜田省吾のアルバム・タイトルに 『J. BOY』 というのがあるけれど、あれは1986年のアルバム。 で、80年ごろの竹内まりやの曲にも 「J-Boy」 ってあるんだけど、これはまた意味が違うようで。

う~ん。 たぶん浜田省吾の 『J. BOY』 と、1988年開設のFMラジオ局 J-WAVE あたりが語源のように思います。 Wiki にはJ-WAVEのことを 「1988年から1989年にかけて「J-POP」(Jポップ)と言う新たな音楽ジャンルと名称を定義・新造し、それを定着させた」 と載っています。

おそらくそうなのでしょう。 ただ「新たな音楽ジャンル」 と言うのはちょっと引っ掛かるかな。サザン・オールスターズも浜省も山下達郎も、現在では普通に J-ポップとしてくくられてはいるけど、でも彼等はその言葉が生まれる以前からほとんど変わらぬ音楽スタイルで活動を続けていたわけで。




ピチカート・ファイブ / 東京は夜の七時 (1993)
J-ポップと言えば渋谷系という言葉がすぐに連想されます。 この人たちのセンスの良さは無視できませんでしたね。


包装が変わっただけで、中身が劇的に変化していたわけでもないんですけどね。でも包装というのは侮れなくて、誰でもイメージというものに引きずられたりもするわけで。 「J-ポップ」 と呼び名が変わっただけで、あたかも洗練された音楽へと進化したかのようにね。

タワー・レコード渋谷店が、まだ宇田川町にあった頃の80年代。 売っていたのはほとんどが本国アメリカからの輸入盤のみ。つまりは日本の音楽なんて置いていなかったのです。だから80年代末に、突如 日本のポップスの売り場がタワーに登場したときにはかなり驚きました。洋楽指向・輸入盤指向の音楽ファンからすると、なんか売り場に不純物が混ざったような感覚があったんですね。

洋楽文化なんてものが日本にあったかどうか怪しいものだけど、強い洋楽指向を持つ人間が、日本のロック、ポップスというのを見下していたところはありましたね。今だってそうなのかも知れないけど、もっと色分けがはっきりしていたというか。

世の中全体がもっとわかりやすいものを求めるようになったのか。 あるいは日本の成人男女の子供化とも関係があるのか。そのあたりの分析はできないけど、90年代に入ってJ-ポップといわれる音楽の地位(売り上げではない)が徐々に向上していっているような感触は、音楽ソフトの現場で働く人間として肌に感じるものがありました。




PUFFY / 渚にまつわるエトセトラ (1997)
この脱力したやる気のなさ、はインパクトありました。 PUFFYi以後、脱力した女子が街中に増えた気がしたのは気のせいか。


僕が記事冒頭の写真の企業に勤めていた時代、1993年にサッカーのJ-リーグが創設。そして当時働いていた店において、日本の音楽の売り場が J-ポップ・コーナー となったのが、1995年 (だったと思う)。

それまでは何と呼んでいたのか・・・。ドメスティック (DOMESTIC) です。ひどいでしょ。ドメスティック売り場ですよ。売り場のスタッフの中には、そのドメスティック担当スタッフのことを、"ドメびと" などといってあからさまに見下しているものもいました。まるで "村びと" 扱い。

"J-ポップ" の定着と時をあわせるように、スピッツやミスター・チルドレンがブレイクし、渋谷系なる音楽が台頭。 日本のポップ・ミュージュクが急に明るく洗練され元気になっていったような、そんな印象のある90年代初頭から半ばにかけてが J の履歴 の書き出しとなるものではないでしょうか。




スピッツ / 空も飛べるはず (1994)
性格的なものなのか、こういった曲を最後にもってきてしまうのでした (^_^;)









今日のBGM  西友 編

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西友。
そうです、都内を拠点に展開するあのスーパーマーケット・チェーンのことです。 僕が物心ついた子供の頃からあります。 その頃はセゾングループの中核を担う企業だったわけですが、2000年代に入ってから米国のウォールマートという資本に買収されて、現在はそのウォールマート系列のスーパーマーケットなんですね。

僕が通勤に使う駅には、駅ビルとして西友があるので、通勤時・帰宅時にほとんど毎回、西友店舗内を通ります。正直なところ、西友はどこのスーパーよりも安いので、庶民としてはとても助かるというのはあります。 お弁当、惣菜、生鮮品、飲料、家電、衣料 ・・・何でもあってすべて安い!

すいません、そういう話をしたかったわけではなくて・・・。ご存知の方はご存知でしょう。 もう何年も前からの話ですが、店舗内に流れるBGMが良すぎるんですね。 およそスーパーマーケットには似つかわしくないと思われる曲が、ガンガン流れています。80年代のUKものが多いようですが、ボサノヴァなどのお洒落な曲も流れていて、店内で足を止めて聴き入ってしまうこともしばしばです。


以下が10月7日から流れている曲のラインナップ。音譜

ABSOLUTE BEGINNERS / DAVID BOWIE
DORIAN / AGNES OBEL
SPEED OF LOVE / JAMES IHA
TAM, GDZIE NIE SIEGA WZROK / PAT METHENY & ANNA MARIA JOPEK
THE MAYOR OF SIMPLETON / XTC
VIENNA / RUSSELL WATSON
SPRINKLED EYES / DOTSCHY REINHARDT
NOVEMBER SUN / SUSANNA HOFFS
STILL WATER / DANIEL LANOIS
ASK / THE SMITHS
I'VE BEEN WAITING / MATTHEW SWEET
MAZURKA / FRANCOISE HARDY
LOVE / THE DREAM ACADEMY
SLOW / RUMER




THE SMITHS / ASK (1986)


「ふつう、スミスやXTC,ボウイの曲をスーパーマーケットで流すか!?」 って思いますよね。 いや~ 何とも不思議な空間ではあります。家電や衣料、化粧品が並ぶフロアならまだしも、"ハンバーグ & 焼肉弁当 (\284) 等が並ぶ食品売り場、惣菜コーナーにも普通に流れたりもしているわけで。 まぁ ほとんどの客は、何も考えずに買い物に集中しているとは思いますが。

音楽って、空間を演出するものだと僕は思うのですが、もし社内に、専門で売り場作りを企画・演出している方がいるのなら、ちょっとお話を伺ってみたいところです。どなたが選曲しているのでしょうかね。 何か狙いがあるのか。 これは前から思っていたことです。

ウォールマート系になってからは、店内に貼られている店のセール、キャンペーンのポスターがまたなんとも言えずダサイ。 というかダサイとわかっていてやってるダササです。そこにボウイやマシュー・スウィートの曲でしょ。 いや、やっぱり何の意図もねぇよ、あれには。まったく不思議な空間だ。



XTC / Mayor Of Simpleton (1989)


特別短編読みもの 本
『みなさまのお墨付き』  (注;マジメに読んではいけません)

その日、俺はクタクタだった。 残業で身も心も疲れ果てた自分を引き摺りながら電車を降り、改札を抜けると、そこはもういつもの明るい店内だった。 時間は21時を回り、お弁当・惣菜コーナーには "レジにて割引 お買得" の値引きシールの貼られた商品が並んでいる。

「そうだ、今夜は焼き肉弁当でも食べて明日に備えよう!」。 しかしこの時間になると、割引商品を狙った帰宅時のサラリーマン、OL、そしてなぜか主婦までいてコーナーは黒山だ。

「はぁ、ここでも競争社会か・・・もう、うんざりだ」。それでも俺は踏ん張って "30%割引" シールの貼られた 焼肉弁当に手を伸ばそうとする。すると、後ろから手が伸びて、あっと言う間にそいつをさらっていってしまった。

「要領の悪いやつは、いつの世も食いっぱぐれるということか、ハァ 」。 ふと隣の男を見ると、割引シールの貼られていない弁当を店員に差出し 「これにも貼れ!」 と催促をしている。 「うわ~、つわ者だ!」。

俺はやっとこさ手にした、第4希望ぐらいの 10%割引のチキン南蛮弁当を掴みレジに向かった。 「俺にだって生きていく権利はあるんだ チクショウ 」。 店内に流れていたのはボウイの曲だった。

「Absolute Beginners」 を身にまとった俺は、小雨煙る夜の街を抜け家路についた。

その背中には男の哀愁が漂って・・・・・いない (-"-;A



DAVID BOWIE / Absolute Beginners (1986)






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